その日から度々律と二人きりになることがあった。
それでももう、律は梓にセッションしようとは言い出さず、梓も梓で未だに会話の
糸口さえつかめずにいた。

今日もまた、部室には律以外いなくて、梓は重い気分のまま部室に入った。

梓「こんにちは」

律「おう」

また律は、雑誌を捲っていた。会話は何も無い。
こんなとき、梓は大人しく椅子に座って律の様子を観察するのが日課になりつつあった。

梓「(また音楽雑誌見てる。折り目とかいっぱいだし、だいぶ読み込んでるんだろうな)」

ペラッ

梓「(ドラムのページ……抜かしちゃうんだ)」

ペラッ

ここ最近、律を観察していた梓が、律について少しだけわかったことがあった。

梓「(……律先輩って案外、ちゃんと軽音部のこと考えてるんだよね)」

普段の律の行動は、とてもそうには思えなかった。
なのでずっと、梓は律が嫌いだと思っていた。
でも、今はどうしてもそうは思えなかった。

梓「(何で今更、こんなことに気付くんだろう)」

律のことがだんだん嫌いになれなくなる。
だからこそ、以前聞いた律の言葉が重く梓にのしかかる。


今日は天気が悪く、部室は暗い。
それなのに律は相変わらず雑誌を捲る。

梓「暗くないですか?」

律「んー……確かに暗いな」

恐々と梓が訊ねると、律は頷き顔を上げる。
電気をつけようと立ち上がった梓は、「梓」と自分を呼ぶ律の声にびくっと固まってしまった。

律「怖がる必要ないだろ」

梓「ですよね……」

律の言葉に曖昧に頷き、梓は笑って見せた。
それがひきつっていたのかも知れない。律の表情が不機嫌そうになる。
梓が慌てて取り繕おうとしたとき、雨が降り始めた音と共に唯たちが扉を開けて
入ってきた。

唯「さわちゃんの話長すぎだよー」

澪「唯がちゃんと聞かないからだろ」

紬「遅くなっちゃってごめんなさい」

明るい三人の声に、梓はついほっとして声を弾ませた。

梓「こんにちは、唯先輩、澪先輩、ムギ先輩!」

ガタンッ

律「悪い、今日は帰るわ」

後ろを振り向くと、怒ったような律が立っていた。
律は梓のすぐ横を通り抜けると、それっきり何も言わずにカバンを持って部室を
出て行ってしまった。

梓「あ、あの……!」

唯「りっちゃん!?」

紬「唯ちゃん、待って!」

唯「え?でも……」

澪「梓、梓も……って、梓!?」

足が勝手に、律を追いかけ様と動き出していた。
澪や紬が止めるのも聞かずに。


梓「(どうしよう……!でもこれ以上律先輩に嫌われたくないよ……)」

部室を飛び出して、階段を駆け下りる。
下駄箱のところで、梓は急ぎ足の律の姿を見つけた。

梓「律、先輩……!」

律「梓……!?」

律は一瞬、戸惑ったように立ち止まった。
しかしすぐに梓から逃れるように走り出した。

梓「待って下さい、律先輩!何で逃げるんですか!」

律「梓が追いかけてくるからだろっ」

梓「先輩が逃げるからじゃないですかっ」

そんなことを繰り返し、結局近くの公園まで来て二人とも走れなくなってしまった。
梓と距離を置きながら、律が「こんなに走ったのは久しぶりだよ」と力なく呟く。

梓「私もですよ」

律「それで?……なんで追いかけてきたんだよ?」

梓「……それは」

いざ律を前にしてみると、なんと切り出せばいいのかわからない。
「以前私のことが苦手だって聞きました、その理由を教えてください」なんて言えるはずもなく、
梓は視線を泳がせた。

律「……嫌いなんだろ」

突然、律が吐き捨てるようにそう言った。
地面にへたりこんでいた梓は、「へ?」と律を見た。

律「……私のこと、梓は嫌いなんだろ?」

梓と目を合わそうとはせずに、律は言った。
何と答えればいいのかわからずに、目を伏せる。
しかし、自然に口が開いていた。

梓「先輩こそ……」

律「私がなに?」

梓「律先輩こそ、私のこと苦手だって……言ってたじゃないですか」

律「そんなこと言った覚えないけど……」

梓「言ってました!たぶん結構前に……『梓?あぁ、あいつは苦手だな』って」

梓を凝視したまま、律の動きが止まった。
俯いていた梓はそれに気付かずに話し続ける。

梓「あの日からずっと……律先輩とちゃんと話せなくて。だから、もし律先輩に不快な思いを
させてたんなら謝ります、それで、私を嫌う理由を教えてくださいっ、そこを直しますから……」

梓「(もうどう思われたっていい、ただこれ以上律先輩に嫌われたくない!)」

律「あの、梓さん……?」

梓「……は、はい?」ビクッ

律「私が苦手とかなんとかって言ってたの、いつ?」

梓「だから結構前です、えっと……」

律「梓が無断で休んだ日?」

梓「……はい」

頷いた途端、律は「うわあああああ」と雨に濡れた髪をかきむしった。
傘もささずに追いかけっこをしていたので、二人ともびしょ濡れだった。

律「……あ、あのさ、一つだけ確認していいか?」

梓「……なんですか?」

律「梓の態度が変わったのって、もしかして私のその言葉を聞いたから?」

梓「態度変わったつもりはありませんでしたけど……」

確かに、挙動不審になっていたし、端から見れば梓が律を避けているようにも
見えたかもしれない。
梓はそこまで考えてはっとした。

梓「(さっき律先輩が私が先輩のことを嫌ってるって言ってたのは私の態度のせい……?)」

律「じゃあさ、梓はその……私のことを嫌ってるわけじゃないの?」

梓「あ、当たり前ですよっ!確かに前は嫌ってましたけど……でも今は先輩として尊敬
してますし、嫌いなんかじゃないですっ!」

律「……」

梓「(って私は何を……律先輩は黙っちゃってるし……私の言葉も止まらない……)」

梓「でも、律先輩は私のことが嫌いなんですよね?わかってます、だから……」

律「ストーップ」

梓「」ビクッ

律「梓、私はまだ、お前にちゃんと言ってなかったことがあった」

梓「え?」

律「だから、あいつは苦手だなって奴……あれさ、梓のこと言ってたわけじゃないんだ」

梓「……よく言ってることがわかりません」

律「あのな、あの時ムギの持ってきたケーキを選んでてさ。梓が遅かったからみんなで先に
食べようってことになったんだよ。そんで、梓の分どれを置いとく?って話になって」



唯『あずにゃんにどのケーキ置いとこっか?』

澪『今日はバナナタルトないんだな』

紬『ごめんなさい。でもこれなんかどうかしら?りっちゃん、聞いてる?』

律『え?ごめん、雑誌見てて聞いてなかった』

澪『だから、梓に置いとくケーキこれでいいかなって話』

律『梓?あぁ、あいつは苦手だな、このケーキ』


律「要するに、梓はその一部始終を聞いてショックを受けたわけだ」

梓「……で、でも、律先輩、その後の私への態度がいつもと全然違ってましたし……」

律「梓が先に違ったからこっちも何かあったのかなって思って話せなかっただけ!」

梓「(……ってことは、全部私の勘違い?)」

梓「(はっ、恥ずかしい!)」

律「おぉ、たこみたいに真っ赤だな」

梓「う、うるさいですっ」スタッ

律「どこ行くの?」

梓「学校に戻りますっ、カバンとか全部置いてきちゃったので!」

律「梓」

グイッ

梓「り、律先輩?」

律「私はただの勘違いでよかったよ、梓に嫌われてるんじゃないのって思うとさ、
すっげー悲しかったからな」

梓「っ……」

律「これでやっとまた梓に心置きなくちょっかい出すことが出来るぜ」

梓「へっ!?なんですかそれ!?」

律「あれだよあれ、好きな子ほどちょっかい出したくなるって奴」

梓「」

律「さーてと、私もやっぱ学校に戻ろうかな」

梓「律先輩、あの……」

律「なに?」

梓「今のは」

律「さりげない告白ですが何か?」

梓「……はい?」

律「ほーら、雨も止んできたし早く帰るぞ」スタスタ

梓「り、律先輩……!」

律「遅いなあもう」

梓「(手、掴まれた…?)」

律「引っ張ってやるから早く帰ろうぜ」

梓「……は、はい」

梓「(勘違いして、良かったのかな。勘違いしなかったら律先輩への気持ちが変わらなかった
だろうし、律先輩のこと、何も知れなかった)」

律「梓、さっきの『先輩として尊敬してますし、嫌いなんかじゃないですっ!』って
言葉ずっと覚えといてやるからなー」ケラケラ

梓「」

梓「やっぱり訂正ですっ、律先輩なんか大嫌いですっ」カァ

終わる