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坂の上の雲 印象に残った場面 巻 頁 戦術家というのは、「敵が予想どおりに来る」というこの不思議な瞬間にかけているようなものであり、戦術家としての仕事のほとんどはこの瞬間に完成する。となれば、真之が勝利感を味わったのはこの「敵艦見ゆ」の瞬間であった。 8 29 やがて飯田少佐が真之のところへやってきて、草稿をさし出した。「敵艦見ゆとの警報に接し、聯合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす」とあった。「よろしい」真之はうなずいた。飯田はすぐ動いた。加藤参謀長のもとにもってゆくべく駆け出そうとした。そのとき真之は、「待て」ととめた。すでに鉛筆をにぎっていた。その草稿をとりもどすと、右の文章につづいて、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と入れた。 8 36 伊地知の訓示の内容は、わが艦隊は今二、三時間後にバルチック艦隊と相見えることになった、長い期間、鎮海湾で行った訓練はただこの一戦のためのものである、全国民がわれわれに期待しているところはすこぶる大きい、うんぬんというもので、最後に、「この世における最後の万歳を唱える」と言い、すべての者が声をかぎりに祖国の永遠のために万歳をとなえた。 8 84 艦橋にある東郷は、一文字吉房の長剣のコジリを床にコトリと落とし、両足をわずかに開いたまま動かなかった。足元の床はびしょ濡れであった。ちなみに東郷は戦闘が終わってからようやく艦橋をおりたのだが、東郷が去ったあと、その靴のあとだけが乾いていたという目撃談がある。 8 88 先任参謀の秋山真之はこれらの群像の左後方にやや離れて立ち、秋山家系の容貌の特徴である隆い鼻を風になぶらせながら、ノートをもち、うつむいてそれへ敵情を書きこんでいた。そのあたりにも、なにか変人のにおいがあった。この場にいたってノートをとることがどれほど必要性があるのか、他の連中にはよくわらなかった。 8 96 すでに戦闘の開始は、秒数を数えるまでにせまっている。真之が許可を乞うと、東郷はうなずいた。真之が、すぐ信号長へ合図した。四色の旗はやがて瓢風のなかに舞いあがった。 「皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ。」 8 108 東郷は真之の樹てた戦術原則のとおりに艦隊を運用した。秋山戦術を水軍の原則にもどすと、「まず、敵の将船を破る。わが全力を持って敵の分力を撃つ。つねに敵をつつむがごとくに運動する。 8 125 東郷はかねて、「海戦というものは敵にあたえている被害がわからない。味方の被害ばかりわかるからいつも自分のほうが負けているような感じを受ける。敵は味方以上に辛がっているのだ。」というかれの経験からきた教訓を兵員にいたるまで徹底させていたから、この戦闘中、兵員たちのたれもがこの言葉を思い出しては自分の気をひきたてていた。 8 131 とくに東郷は、「海戦の要諦は、砲弾を敵よりも多く命中させる以外にない」という平凡な主題を徹底させ、かれの戦略も戦術もこの一点に集中させたのである。いかなる国の海軍においてもこの時期の東郷ほどにこれを徹底させた例はなかった。 8 150 付近にいた駆逐艦ブイヌイほか一隻が沈没箇所をかけまわり、海面にただよっている兵を救い上げ、約四百人を救助した。かつての乗員は八百五十人であった。この救助作業中、日本艦隊はこれらの駆逐艦に対し、戦士としての優しさをもっていた。どの艦もこれらの駆逐艦に対し一弾も送らなかった。 8 166 かれとロシア軍の不幸は、かれの思考法にあった。つねに敵によって動こうとした。敵の出方をいつも見ていた。かれ自身の軍事学はどうであれ、戦争と言うこの急場におけるかれの作戦思考は、あたまから防御心理でできあがっていた。かれのように防御心理のみで戦争をする場合・敵の出方だけが気になり、その敵の出方で振りまわされる結果になる。つまりは恐怖が思考の支軸になっていた。 7 35 好古が馬上、田村久井にちかづくと、田村も馬上遠くから敬礼し、いそいで馬首をめぐらし、雪をけって好古のそばにきた。「田村、奉天で一杯やろう」と、好古はまずいった。 7 92 ちなみに徳川時代の特殊さは、知識階級が都会におらず地方にいたことであった。各藩がこぞって藩士に学問を奨励したために、五六万石以上の大名の城下といえば知識人の密集地というぐあいにまで幕末にはなった。幕末の政治と思想のエネルギーが三百諸侯の城下町から吹き出てきたという点で、欧米の他の国家といちじるしく事情が異なっている。 1 25 夕食の膳に、いわしがついている。「大阪のいわしほど旨いいわしはない」と寺男はいったが、伊予のいわしに馴れた好古の舌には、どうもあぶらが濃すぎるようにおもわれた。「旨うおますやろ」と、寺男はほめことばを強要した。「まあな」好古は、士族のどの家庭でもそうであるように、食物の味をうんぬんしてはならないと教えられている。 1 33 好古は辞めてしまおうと思ったが、国を出るとき父からいわれたことを思いだした。「世間にはいろんな人間がいる。笑って腹中に呑みくだすほかない」飲みくだす気にはなれなかったが、珍物として敬遠しようとおもった。 1 40 「なぜ、騎兵を選んだぞな」と、父はたずねた。好古の理由のひとつは、年限が三年で早く少尉になれて給料を早くとれるということだった。「人は生計の道を講ずることにまず思案すべきである。一家を養い得てはじめて一郷と国家のためにつくす」という思想は終生かわらなかった 1 92 鼻が日本人離れしたほど高かったために、松山でもこの信三郎好古のことを「鼻信」と、ひとはかげ口をいった。両眼のきれが異様にながく、色白でくちびるが赤い。めずらしいほどの美男であったが、好古はなにがきらいといっても自分が美男であるということをひとにいわれるほどきらいなことはなかった。この点でもこの人物は目的主義であり、美醜は男にとって何の意味もなさずと平素からいっており、男にとって必要なのは、「若いころはなにをしようかということであり、老いてはなにをしたかということである」というこのたったひとことだけを人生の目的としていた。

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