ポックリボーイ

ポックリボーイ(ぽっくりぼーい、1975年3月20日 - )は、日本の、虎に襲われた経験のない男性。北海道深川市出身。東京都武蔵野市在住。


略歴

1975年3月20日、北海道深川市に生まれ、死亡。
第一子の兄が両親の期待を一挙に担わされ、厳しくしつけられる一方、二男のポックリボーイは、絵に描いたように放任気味に育てられ、絵に描いたように末っ子の特権たる種々の甘い汁をいかんなく吸い、比較的自由に成長し、死亡。

ポックリボーイの中学校時代における担当教師の評価。


この頃から、他人に対して腹を割っていない。
他人と一緒に歌をうたうのが大嫌いだった。歌声運動(合唱大会の練習)のみならず、あらゆることに関して、他人と一緒に何かをやることが苦手だった。
当時、級友から、「お前、絵を描くんだろ?学校祭の羽織のデザインに使いたいから、般若の絵を描いてもらえないか?お前の負担にならない範囲で良いからさ」という切実な相談に返した答えが、「嫌だ」という、最低な解答。

同じく、中学校時代の別担任の評価。


「時と場所をわきまえない言動」の事例は、先生の「この問題分かる人!」という質問に、「ハイ!」と手を挙げ、席を立ち、「ヒャッピョイ!ミョッペー!」などという奇声を発しながら教室を出て、そのまま家に帰ったというエピソード。
当時、教職取り立ての20代だった女性担任教師に、何を聞かれても、向こうが、いくらポックリボーイに歩み寄ろうとも、「精子!」としか答えない屈折した性格。
まともに他人とコミュニケーションを取ることができない。性質が悪いのは、まともに他人とコミュニケーションを取ることができない自分自身に対して、反省ではなく、自己陶酔し、むしろ、それを増長させようとする性格であった。
これらのことから、ポックリボーイは、中学生時代、純粋に、いわゆる「中2病」を全身全霊で発症していたといえる。同時期に、「伊集院光のオールナイトニッポン」に出会い、その後、順調に、というか、ある種、必然的に、「伊集院光のOh!デカナイト」「深夜の馬鹿力」のヘビーリスナーと化した。

雄大な北海道の大地が大好きなわりに、高校卒業後、100円玉の価値を、どうにか120円にできないものかと上京し死亡。
東洋大学英米文学科に入学するが、入学直後に、「英米文学どころか英語そのものに興味がない」という結論に達したため、一年後、晴れやかな気分で中退。

その足で、明治大学法学部法律学科に入学するも、入学直後に、「法律には死ぬほど興味がない」という結論に達する。
真顔で「司法試験受けよう」などと話す級友を目の当たりにして、呆然としながらも、この段階で学校を辞める勇気もなく、「ストⅡ」「麻雀」「作詞・作曲」「漫画の執筆・出版社への持ち込み」「酒」をローテーションさせる生活をベースに据え、テスト前にしか学校に行かないというスタイルを貫徹し、4年間、ズルズルと卒業まで在学し、死亡。
ポックリボーイがオモコロで発表した「突然の天使」「手の平にひとつ勇気もって」「東京アイロニー」のメロディーは、この時期に作ったもの。

当時(20歳くらい)のポックリボーイ。



大学卒業と重なるように、「カンガルー、コアラ、ウォンバットなどの有袋類をスーパーに持ち込めば、マイバッグブームの前哨となる」という自説を展開しつつ、1998年に商業誌で漫画家デビューすると同時に死亡。


「漫画で一生メシが食えるのか葛藤」に散々さいなまれ、未練たらたらで、漫画の道を頓挫。BB弾だけでヒグマを殺すヒグマハンター(マタギ)の道を目指す。

間もなく、「911」に線を一本加えながら縦にすると「ま」になるという法則を見出す。その直後、死亡。




2001年、在住している吉祥寺の全てのマンホールを舐めることに成功し死亡。
2002年、自分の身体に存在する細胞の正確な数が測定不能であることに気がつき発狂死。

2001年頃より、行った居酒屋やラーメン店の感想などについて、WORD文書で個人的な日記にしていたが、それをweb上に移行する形で、2003年5月24日、個人サイトのポクポクライフを開設して死亡。
2004年、「腹が減って死にそうなときは物を食べるとおさまる」という法則を発見した矢先、腹が減って餓死。
2005年、3万個以上のタニシを罵倒することに成功。「おい!タニシ!お前は何も考えてないんだろ!じゃあ、そのまま死ね!」。死亡。
同年、ポックリボーイバンドを結成し、全国の老人ホームや保育園での訪問演奏を画策するも、一切のオファーがないまま、この世を去る。享年30歳。


2006年7月28日、オモコロスタッフのニスィーベと渋谷でパスタを食べている途中で、「一緒に何かやろう」と意気投合し死亡。その時食べていたポックリボーイのパスタの写真。


2006年9月11日、オモコロへ加入し、特集「突然の天使」でデビューして死亡。
2007年、「ま」を横にして、横線を取り除くと、「911」になるという法則を見出す。その直後、死亡。




2009年現在、100円玉の価値を、どうにかして70円にできないものかと、日々、研究を重ねていると同時に死亡。享年34歳。
葬儀は、鳥葬(本人の希望)により、コンドル2羽でしめやかに執り行われ、死亡。享年34歳。その直後、心臓発作で死亡した矢先、死亡。享年78,487,888歳。

人物

血液型・O型

大統領

ニクソン

ケセラン

パセラン

シャーロ

ック・ホームズ

代表的な作品


関連リンク

最終更新:2009年10月13日 01:30
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。