2009年度ミス・ユニバース民族衣装問題まとめwiki

緒方義志

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muj09

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※「小萩」の公式サイトはGENO感染の疑いがあるため、「義志」関連サイトはすべて閲覧注意


  • 埼玉県出身
  • アパレルブランド「義志」代表取締役兼デザイナー
  • 2009年度ミス・ユニバース世界大会「ナショナルコスチューム・民族衣装部門」日本代表コスチュームデザイン担当

緒方語録


  • 「日本の国民に日本人としての自信と誇りをよりいっそう持ってもらうための国家事業」のために私はファッションをやっています。私が今の日本で最も嫌いなこと、それは欧米至上主義です。
  • 常に時代の「かっこいい」を牽引しているつもりのファッション業界がこんなダサいことをいまだにかっこいいと勘違いし続けているようでは、 日本のファッション業界など裸の王様もいいところです。
  • 日本人の私には自慢ができない。家は狭いし電車はいつも満員だけど料理は美味しいし、こんなに美しいところもあるんだぞと言おうとしても、何だかむなしくて言えないんですよ。心から自慢できる自信がない。

経歴



417 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/07/27(月) 19:09:58 ID:+AwCaYFF0
≫413
補足ね、
大学在学中に、環境デザイナー関係の専門学校に1年いくが
そこの講師の言葉で挫折する。
会社は、サザビーの海外事業部、その後、テレビショッピングのバイヤーで
最期は、経営コンサルタント。面白い経歴です。
服飾デザイン関係の勉強、仕事は会社起こすまで一切していないって事だよね。

748 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/07/28(火) 08:23:33 ID:D1dbyOCS0
緒方義志(おがた・よしゆき)略歴

1972年(S47)4月13日生 埼玉県(出身)、妹がいる

1991年3月  私立中・高卒業(キリスト教系・板橋区・京浜東北線、埼京線利用)
        ※該当校なし・近隣では北区に聖学院中・高がある
1991年4月 上智大学入学 ※現役合格の場合 
1994年    大4、アメリカ・シアトルに1年間留学
       日本に戻った後、大学に通いながら環境デザインの専門学校にも同時に通う
1995年4月 大手服飾雑貨メーカーに就職、海外マーケティングとMDアシスタントを兼任
        ※4年で卒業している場合
―その後、2つの会社を転職―
2004年2月 会社勤めをしながら、株式会社義志設立
2004年5月 女性向けブランド「小萩」開始
2005年7月 109に出店(若手デザイナー発掘企画・109ステージ一期生)
2005年8月 直製機織店を東京渋谷区神宮前に出展
2006年7月 ミス・ユニバース2006 日本代表ナショナル・コスチューム衣装提供
        (総合準優勝、ナショナル・コスチューム部門優勝)
2007年4月 光岡自動車「大蛇」とのコラボレーション企画発表
2007年5月 ミス・ユニバース2007 日本代表ナショナル・コスチューム衣装プロデュースおよびデザイン(総合優勝)
2008年3月 アメリカ西海岸での販売を開始(米フレッド・シーガル)



埼玉県に住んでいた緒方さんは、東京都板橋区にある私立の中学、高校に通った。
京浜東北線、埼京線のどちらを使うにしても、電車は高架線を走る。都心部と違って沿線に高いビルが少なく、車窓からはかなり遠くまで見渡せ、晴れた冬の日には遠く富士山を臨むことができる。見晴らしの良い路線である。
中学と高校の6年間、電車から毎日外の景色を眺めながら通っていた緒方さんはしかし、景色の良さに見とれることはなかった。むしろ失望感にさいなまれる。
「何て言うんですかね。高いところから見下ろしていると、街がみすぼらしく見えたんですよ。街が全然美しくない」


学生時代


米国のシアトルに留学、そこでまたも失望

大学に進んだ緒方さんは4年生の時、米国のシアトルに1年間留学する。豊富な水と森に街全体が包み込まれた美しいところだ。ここでさらに失望感を深めることになった。

「私が通っていた大学には世界中から学生が集まってきていました。ドイツ人もいればフランス人もいる、イタリア人に中国人もいました。彼らと話をしているとどこから来た人でもお国自慢をするんですね。俺の国はこれがすごいぞって」

「ところが日本人の私には自慢ができない。家は狭いし電車はいつも満員だけど料理は美味しいし、こんなに美しいところもあるんだぞと言おうとしても、何だかむなしくて言えないんですよ。心から自慢できる自信がない」

若者が人生の進路や目標を決める時というのは、往々にしてこのような場合が多い。緒方さんもこの時に決心した。日本の街を美しくしてやろう、日本の美を自分なりに表現して世界に伝えてやろうと思った。そしてすぐさま行動に移す。日本に戻った後、大学に通いながら環境デザインの専門学校にも同時に通うことにした。

しかし、専門学校の校長に自分の夢を語った緒方さんは目の前が真っ暗になった。「どんなに一生懸命勉強しても街全体の設計は無理だよ。街の一部、パーツの設計はできるようになるだろうけど」。校長のこの一言で夢が粉々に砕け散った。


デザイン・フェスタに参加


緒方義志さん 28歳

和のモチーフをプリントしたTシャツ

「今回初めて参加しました。今は会社員ですが、自分のブランドを立ち上げるのが夢なんですよ。まあこれを機に、一気に羽ばたこうかと……。
ブランド名も自分の名前を使って。『義志』と書いて『よしゆき』と読みます。

準備期間が十分じゃなかったのでTシャツしかありませんけど、“ブランド立ち上げ記念Tシャツ”ということで、ご理解いただければ……。

アイデアは以前から温めていたんですよ。
そうなんです、ちょっと和にこだわっています。
本格的にブランドを立ち上げたら、ぜひ衣食住の分野にわたって和文化をトータルに提案したいですね」


若手デザイナー発掘企画・109ステージ一期生



256 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:19:16 ID:xPb7kMW20
随分前に、この緒方ってやつが109に出店する模様を取材した
ドキュメンタリー番組を見た気がするなー。
和のテイストを生かしたファッションで渋谷に殴り込み!みたいなの。
剣道着や柔道着を、コムドやユド風に改造したトップスや、袴みたいな
キュロットスカート?を出してたような・・・。既出?

どうでもいいけど、伝統をよく知らない者が「伝統にとらわれない」とか
いっちゃいけないよね。とらわれてないんじゃなくて、無知なだけだろコイツ。

278 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:28:14 ID:0cXpGxjOO
≫256
その店知ってるよ
109の中でもファッションフロアの最上階に四店舗くらい
新規のブランドを入れて人気のあるブランドは
大々的に雑誌に取り上げられるみたいな企画の元だったそうだが
いち早く潰れたのは緒方のブランドの小萩
他のブランドはまだほぼ現存している
小萩と同じ時期に同フロアに初出店したギルフィーというブランドが
未だに同フロア内では圧倒的な売り上げと人気があるし客入りもいい
若槻とかファッキーナも愛用してるしね
ロック系カジュアルで使い回しのきく系

小萩の方は全然客入りよくなかった
ギャル雑誌に多少ゴリ押ししても
何故かモデルの私物や私服で紹介されるのはギルフィーのもの
価格帯はギルフィーの方が安め、小萩は高いし使い回しがきかない
何よりかわいさ、もしくはかっこよさがない
だから潰れたんじゃないかな

267 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:25:12 ID:mpfzSTv60
≫256
何かをアレンジするという事は、それを熟知してから
敬意を込めて行わないと、ただの劣化コピーになる。

キモノなんて過去のもの。そのスタイルを打ち破る俺ってカッコイイ
土方服を真似てもこれは「高価なブランド品」だから土方服じゃない。

何かを必死で蔑もうとする姿ほど醜いものはないよね。

357 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:51:41 ID:xPb7kMW20
≫278
情報thx。店が潰れててホッとしたw
確かに、上から下まであの店で買わなきゃダメだろってくらいに
着回しが利かなそうな服ではあったな。

古典柄でも、ハッとするほどモダンなデザインもあるのに、
どうしてそっちを現代のファッションに流用しないのか不思議だ。
≫267の言うように、「アレンジ」の意味をはき違えてるんだろうな、緒方さんは。


799 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 06:30:55 ID:ZTp0lE0O0
デザインした●志って00年代初期に渋谷109の出店コンペで優勝した人?

テレ東のWBSかなんかで特集組まれてた。
見事出店するも、忍者みたいなモチーフを無理矢理持ってきてて
店内はガラガラ。アムラーwの残滓みたいなのが蔓延ってた当時の109に
よくぞ出せたなと思ったよ。

835 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/08/01(土) 07:08:33 ID:ZTp0lE0O0
≫803
「義志」といえば数年前に渋谷109のチャレンジショップで誕生した和テイストなブランド
日本文化に対する自信と誇りに次世代の和を追求している・・・
ttp://blog.tsushin.tv/biscaca/item/25725

とにかく109に出店を果たすことができた。ただ、現実の世界はそう甘くはなかった。
商品を作って店頭に並べてもなかなか売れない。渋谷に集まる自己主張の強い
若い女性たちにとっても、少し奇をてらい過ぎた商品だったのかもしれない。
契約期間の1年間が終わりに近づいても渋谷109に出店している店の
平均的な売上高の数分の1を売り上げるのがやっとだった。
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/print/1365


「ミス・ユニバース・ジャパンが着用した民族衣装のデザイナー」として名前が売れる

  • しかし、人々の目に焼きついた甲冑や着物そのものをデザインしたのは「義志」以外のデザイナーである
  • International Herald Tribune、TIME等からも取材を受ける


TIME「ファッション界のラストサムライ」


つい先日、アメリカの雑誌「TIME」アジア版の取材を受けました。取材の趣旨は
次のようなものです。「世界では、ここ数年、ジャパン・ブームが続いており、
日本はその洗練された文化や高い技術、流行を見極めさらに新しいものを
産み出していく鋭い感性といった面から、いわゆる『COOL』な存在として、
いろいろな分野で世界から注目を浴びている。そんな日本が世界に誇ることのできる、
海外でも幅広く活躍している人たちを、建築、ファッション、デザイン、映画、
テクノロジー等、あらゆる分野から選び出し、TIMEの読者に紹介する。」
この企画の中で、私はファッション部門の一人として選んで頂いたようで、
大変光栄な思いでバンコク支局長であり記者でもあるアメリカ人の女性と
会話を楽しんできました。


先日、代表の緒方義志が取材を受けた記事が
世界最大の週刊ニュース誌「TIME」に掲載されました。
次世代を担う日本のクリエーターとして、光岡自動車デザイナーの青木孝憲氏や
カンヌ国際映画祭にて審査員特別賞を受賞した河瀬直美監督らとともに
紹介されております。興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。



活動


デザインコンテスト審査員


食と農をつなぐ NPO 日本アグリデザイン評議会
http://www.agridesign.jp/ada2008/
MAT GP
http://www.matgp.vantan.com/profile.html

主義信条


使命(会社公式サイト)
http://www.yoshiyuki.jp/shimei/
使命は「日本再興」
http://ameblo.jp/tomokazu0213/entry-10135671711.html
~代表・緒方義志の言いたい放題30~
http://www.yoshiyuki.jp/kaiin/

服飾・デザインについて


さて、それでは私はいったい何故ファッションをやるのか?
勿論、服が好きで、自分の着たい服を作りたいという衝動に駆られたという側面もあるのですが、私の中での大義は別のところにあります。
それをひとことで言うと、
「日本の国民に日本人としての自信と誇りをよりいっそう持ってもらうための国家事業」のために私はファッションをやっています。
ともすると大変独善的に聞こえてしまうかもしれませんが、これは格好つけでも何でもなく、私はこれを本心から思っています。

私が今の日本で最も嫌いなこと、それは欧米至上主義です。
http://yoshiyuki.jp/mailmagazine/1807.html

義志は「和服再興」を掲げてブランドを立ち上げました。
この言葉には、東京のファッションの中心地でごくあたりまえに
和服を売る店をやりたいという思いを込めています。ただし、
和服と言っても、伝統的なものだけを指しているのではなく、
日本人にしか生み出しえない衣服のかたちと日本的なるデザインの
素晴らしさを私なりの考えで日常の普段着に落とし込むことで、
日本の服飾文化はそう簡単に淘汰されるものではないということを
示していきたいという思いです。しかしながら、現在扱っている
商品はTシャツやブルゾン、デニムパンツなど、洋服を原型と
するものが殆どで、まだまだ「進化した和服」を提案するという
領域にまでは着手できておりません。これにはブランド展開の
戦略的な理由もあるのですが、ちょっとのんびりやりすぎては
いまいかと、先日の買い物で味わった得体の知れぬ喪失感を通して、
自分で自分の尻をもっと叩く必要性を強烈に感じました。


先日都内で開催されたジャパンファッションウィークを
視察したときも、そのことを改めて痛感し、まず真っ先に感じたことは、どのデザイナーの
作品がどうだったとか、今年のデザインやスタイリングの傾向がどうだったかなどの本筋に
関することよりも、「日本のデザイナー達は一体どこまで日本語に対する自尊心が
無いのか」ということでした。それは実に単純な話で、ブランド名を日本語で
表記するデザイナーが皆無に等しかったということに尽きます。


そして私は彼らに対して改めてこう問いたい。あなた達は何に怯えて日本語から距離を置くのか。
あなたはそんなに日本語が嫌いなのか。それとも日本語を使う自分に自信がないのか。或いは、
あなたの顧客が日本語を嫌うから、あなたも仕方なく顧客の需要に応えているだけなのか。あなたは自分の
商売の繁盛のために日本語を使わないのか。それとも、ファッション業界に厳然と存在する大きな
見えない力によって日本語が使えないのか。なぜ、日本のファッションは日本語を疎んじるのか!
(略)
妻は最近、私が本誌にてこの類の話題に触れるにつれ、「もういい加減にこの話題について書くのを控えたらどうか」と
半ば呆れ顔で助言してくれます。妻は妻なりに、私がいつも同じことばかりを書いて「つまらない奴だ」と思われることを
慮って冷静な意見を私にくれているのですが、私としては何度言っても言い足りないほど、このことに関しては
ファッション産業に従事する一デザイナー、一経営者として忸怩たる思いがあります。なぜなら、自分達の言語で
ファッションが表現できない文化など、所詮は異文化に依存する借り物文化であり、表現活動の根本と主体性を欠いた
最も格好悪い状態だと言わざるを得ないからです。常に時代の「かっこいい」を牽引しているつもりのファッション業界が
こんなダサいことをいまだにかっこいいと勘違いし続けているようでは、日本のファッション業界など裸の王様もいいところです。


私が気に入らないのはただの一点に尽きます。それは、日本人が使う
手帳の言語基盤を英語にしているということです。そんな小さなことで
腹を立てるなと言う人もいるかもしれません。しかし、私はここに日本人
デザイナーの意識の中にはびこる強迫観念が凝縮されていると思えて
仕方がないのです。日本語はファッション性の高いデザインには向いていない・・・。
こんな感覚がまかり通る日本のデザインに何ら魅力を感じないどころか、
その精神性があまりにも誇りに欠けていて、これからの日本人のデザイン的
感性や能力の発展を想像すると、恐ろしさと寂しさともどかしさと憤りが入り混じった
複雑な感情から、唇を噛んでただ呆然と立ち尽くしてしまう自分がそこにいます。


つい先日、ファッションの業界紙でおかしな記事を発見しました。「何かがおかしい」と
切り出すその記事の内容を要約すると、現在開催中の東京コレクションでは、
ファッションショーのフロントロー(最前列席)に座る業界関係者の様子が
パリやミラノと違って華やかさに欠けるそうです。
(略)
「({独自の)スタイルがあると勘違いして
トレンドを無視した格好でフロントローに堂々と座っている方}々もいるが、
その前に少しは東コレを盛り上げる努力をして欲しい。コレクションはデザイナーだけでなく、
観客もその一部。一人ひとりが東コレを華やかにしなくては。」
これはなんとも見当違いな記事です。


「何故義志は海外から評価されるのか」

つい先日、某局の経済番組の企画で、「表参道から世界へブランドを発信する企業」の
一社として短い取材を受けました。聞かれた内容は甚だ通り一遍のもので、
「景気が低迷する中で現在の業況はどうか」とか「東アジアを市場としてどう見るか」とか、
「当面の売上目標はいくらか」等々。原宿・表参道という地区の世界を意識した
取り組みに対する取材であったことを思うと、ひとつのブランドの真髄に迫ることには
はなから限界があることは否めませんが、この義志という特異な存在のブランドに
対してするべき質問が全くなされなかったことは残念でなりません。

たとえば、「なぜ義志は海外を目指し、なぜ義志は海外から評価されるのか」と
いうことについて問うてもらえれば、もっと企画の趣旨に合った内容の持論を
述べることができたと思うのですが、恐らくこの番組企画も小手先のテクニック論にしか
興味がなかったのでしょう。


日本の“文化”について


伝統工芸師たちは自らの生業を伝統工芸と呼ばれることに果たして
心底から喜びを感じているのだろうかと私はしばしば考えることがあります。


今、日本人が持っている危機感のひとつに、「グローバル社会における存在感が低い」
ということが挙げられます。その課題を解決するために、世界の時流に
乗り遅れぬよう海外で起こっているトレンドをいち早く入手して迅速かつ
積極的にアクションを起こすことや、外国人とのコミュニケーションにおいて
気後れしない日本人を作るために、より実践的な英語教育を実現したりする政策も
もちろん重要です。しかし、その前に日本人がまず理解しなければならないのは、
今日のいわゆる「グローバル」社会において、その「スタンダード」のほとんどが
欧米の価値観の上に成り立っているということ、そして、私達日本人は何でも
その「スタンダード」を進歩・発展のベンチマーク(水準)にしようとしているということです。
(略)
ファッションに対してのみならず、日本人がこのグローバル社会の中で今まで以上に輝きを放ち、
かつ周りから十分に尊重され、その存在が存分に求められるようになるためには、
まずは日本人としての自分に対し確固たる自尊心を持つことが重要です。そのステージを
飛ばして日本人が国際人として世界で尊敬されることはありえません。
真の国際人になりたくば、欧米先進諸国の流儀や流行に精通したり会社やブランドの名前を
英語にしたりする前に、まずは日本人としての自分と向き合うべきではないでしょうか。
自分が何者で、自分の強みが何であるかを知り、自分の国の風土と風俗の中で培われた
美意識を信じ、自分が生まれ育った文化の中で身につけた流儀を
軽んずることなく、自分達にしかできないことが何であるかを理解する。
これこそが、これからの日本人に強く植えつけていかなければならない意識なのです。
そういう意識が、自国の文化と国家を自らが育むという気概となり、翻っては、
国家の繁栄と国際社会での存在感に直接的に結ぶ付く精神の根源となるのだと考えます。
(略)
そのためには、創り手側もまた、それなりの高い国際感覚と日本文化に対する健全な自尊心が要求されます。
いつまでも「西洋に追い付け追い越せ」といった1世紀以上も昔の古臭い感覚でモノづくりをするのは
時代遅れも甚だしく、そんな日本の姿勢など今日のグローバル社会は求めてはいません。
世界はまだ提案されていない独自の価値とそこから得られる新しい刺激を求めています。
未だに西洋の亜流を至上とする日本のファション業界はいい加減に自分たちの持つ文化発信力を自覚し、
世界に独自の「日本流」を発信していく行為が結果的に導く精神的な社会貢献に対しても
意識を向けるべきです。もっと誇りと自信を持って、この日本を代表するファッションエリアから
「日本流」の面白さを世界に向けて発信していこうではありませんか。


「最低の茶番劇」

今までに私を結婚式に招待してくれた友人や親類には大変申し訳ないと
思いますが、私は何度となくそのような結婚式に出席させていただき、
その都度とても複雑な心地の悪さを味わいました。それは、自分が
大好きな友人や親類の結婚を心の底からおめでたいと思う慶びの気持ちとは
裏腹に、そんな彼らが私の目の前で繰り広げる最低の茶番劇の主役であることが
悔しくて仕方がないという思いです。自分が愛し尊敬する仲間や親類たちの
そんな無様な姿は、できることなら見たくはありません。

私がキリスト教式の結婚式を茶番劇と呼ぶのは、新郎新婦だけでなく出席者
全員がその劇に参加していることにあります。まずは、「バージンロード」を
新婦と共に歩いて入場する父親。私はその見るに絶えない姿を見るにつけ、
毎度の事ながらついそこから視線を外したくなる痛々しさを覚えてしまいます。


私は、学生時代、この迎賓館の目と鼻の先にある上智大学に通っていたこともあり、
この建物を日々の生活の中で目にすることが多く、それを見るにつけ何か息が苦しくなるような違和感を覚えたのを今でも思い出します。
脂汗がにじみ出てくる感覚というか、それは、自分が致命的な失態を犯してしまったときに感じる息苦しさに似た感覚だったような気がします。
当時、私が在籍していた比較学部には海外からの留学生がたくさんいて、友達にも様々な国の人たちがいました。
私にとってこの迎賓館は、そんな仲間達にはできるだけ見られたくない恥ずかしい物であったような気がします。
歴史と文化の奥深さを表面上ではさんざん主張している日本人がこしらえた「迎賓館」が、これなのです。
そんな自分の恥部が学校の近くに堂々と誇らしくそびえ立っているのを、
私はいつしか本当に疎ましく感じるようになっていました。


クリスマスについて


しかし、ある時期から私はクリスマスという行事を少しだけ客観的に見るようになりました。
それは、多分、キリスト教の私立中学校に入学して、キリスト教を一つの宗教と捉えるようになってからのことだと思います。
残念ながら、私にとってキリスト教は感覚的にしっくりくるものでなかったため、いつしか私にとってのそれは、
数ある宗教の一つという位置づけになりました。そこで私は考えます。なぜ、それでも私はクリスマスを祝うのか。
その問いに対して、「イエス・キリストの生誕を祝う特別な日だからだ」という答えは、
それ以上でもそれ以下でもなく、それが自分の精神に何らつながりを持たないということだけが明確になったのです。
なぜなら、そのイエス・キリストという歴史上の偉大な宗教家の存在は、自分の人間形成の過程においてどこにも登場しなかったからです。
聖書の授業で彼の偉業についてはいろいろと学びはしたものの、自分という存在との精神的な因果関係はどこにもないということが分かりました。
ゆえに、あそこまで気分を高めて派手に生誕を祝う間柄では到底ないということに気付き、今まで自分がやってきたことに恥ずかしさすら覚えたのです。
以降、私はその思いを徐々に強めていき、12月になると途端に日本中に広がる「クリスマス現象」に対し違和感を覚えるようになりました。
私は大人になるにつれ、クリスマスという行事とは意識的に距離を置くようになり、大学生の時などは、
この現象に対する反骨精神のささやかな発露として、好きな女の子をわざわざ12月24日に誘って、
ジャッキ-・チェンの映画を観に行き、その後ファーストフード店で軽く食事をして別れるということをやったりもしました。
周囲の男友達がこぞってクリスマス・イヴは彼女や好きな女の子とどこでどうやって素敵に過ごすかということに全精力を集中し、
当時出たての「トーキョーウォーカー」などを買ってはクリスマスの演出に余念がない中、
「俺にとっては12月24日も25日もただの平日さ」ということを言いたいがためだけの私なりの子供じみた自己表現だったのです。


日本には素晴らしい行事や風習がたくさんあります。
節分、桃の節句、端午の節句、七夕、盆、彼岸、七五三。
他にも掘り出していけばもっと沢山の大小の季節行事が挙がると思いますが、
中でも十五夜(中秋の名月)などは、特に日本的で風流な行事です。
今日のように、私達が欧米の行事や記念日を収集し続けていくことで、
これらの行事が私達の孫の世代にどれだけ風習として残されていくのでしょうか。
このことに私達はもっと危機感を抱くべきです。
これらの風習を残していくか否かは、全て私達の意志次第なのですから。
ハロウィンが終わると、今度は私たち日本人が大好きなクリスマスシーズンに突入します。
この時季が来る度に、企業の商業活動に踊らされてふわふわと流行に乗り、
異国の宗教行事を真似して喜ぶような日本が、果たして世界で尊敬される国になり得るのかと、
勝手に耳に入り込んで来るクリスマスソングから逃れる術もなく考え込んでしまいます。


「大人としての自覚」

こうして、クリスマスという私達日本人にとっては特に精神的意味を持たない行事で1兆円以上の
消費活動を「楽しいから」という理由だけで行い、地球環境のエントロピーを私達はこの時期に一気に
増大させています。企業もメディアも消費者も、皆がその精神不在の宗教行事を手放しに喜んで、
やれツリーだおもちゃだ指輪だと、わざわざこのクリスマスのためにモノを生産し消費するということを
率先して行いながら、その一方でメディアは環境問題の深刻さを視聴者に訴えかけ、企業は
「環境に優しい会社」であることを消費者に喧伝し、消費者は「今私達が環境に対してできることは
何か」などと本気か冗談か分からない議論を交わし、さらにはその子供達に環境問題の
大切さを偉そうに説いています。それが今の自分たちであると私は認識しています。

クリスマスという国民総参加型の行事がほとんど無意識に行っているこのマッチポンプ的な行為は環境問題に
関わることだけではなく、子供達への教育にも浅からぬ関わりを持っていると私は考えます。少年犯罪の増加や
一般常識と学力の低下、さらにはニートの急増など、「自分さえ良ければいい」とか「今さえ楽しければ自分の
将来のことや社会との関わり方などはあまり重要でない」といった、子供達の社会性の欠如が昨今深刻な問題として
大人たちの話題に上がっています。しかし、「楽しかったら何でもあり」という刹那的で無思考な行為を率先して
行ってきたのは私たち大人と社会環境そのものであり、その言動が見事に凝縮されているのが、今日の日本の
クリスマスだと私には思えてならないのです。そんな無思考でふわふわとした大人と社会に育てられた子供に、
私達はいったいどの面を下げて社会人としての自覚や思慮深さを期待するというのでしょうか。


かといって、この行動とは環境問題よりもずっとお手軽で誰もが取り組めることばかりです。
例えば、子供にママと呼ばせずにお母さんと言わせるような、当たり前の
日本語教育を取り戻すこと。例えば、季節の伝統行事を家族で楽しむこと。
例えば、殆どの日本人にとって精神の通わない宗教行事であるクリスマスを
大人が率先して盛り立てないこと。例えば、音楽やデザイン・アートの分野において、
どうやって日本語でかっこいい表現ができるかをもっと前向きに試行錯誤すること。
例えば、日本独自のファッションを作るということに意地を見せるということ、など。
全ては、未来の子供達の日本文化に対する自尊心を高めてあげるんだ
という意識を持った行動をするということに尽きます。それだけのことなのです。


日本の食文化は手放しで自慢できる部分


要するに、食わず嫌いや無知による無関心は人生における感動の機会を制限してしまう
ということです。私は、高校一年生くらいまで、寿司という料理に何の魅力も
感じていませんでした。何故と言えば、刺身が嫌いだったからです。こんな気持ちの
悪いものをみんなよく食えるものだと、私は周囲の人たちの食の悪趣味を半ば
蔑んだ目で見ていました。父や母から「美味しいから食ってみろ」と何度も
勧められましたが、頑なにそれを拒み、妹が父の土産の鯖寿司に喜んでいる感覚も
全く理解できませんでした。私はこんなものを一生食わないでよいと思っていましたし、
また、寿司が気持ち悪いと思える自分が好きでもありました。別に寿司を憎んでいたわけでも
何でもないのですが、できることなら一生寿司を嫌いな人間でいたいと思っていたくらいです。
だから、たまにすし屋へ連れて行かれても頑固に玉子とかっぱ巻きとかんぴょう巻きだけを食し、
私は頑なに自分の美学を守り抜いていました。サッカー部の合宿などで、夕飯に
刺身が出たりすると「俺、刺身が食えないからやるよ」と言って後輩に刺身をあげては、
その行為に我ながらの洗練を見出していたのです。

ところが、高校生のある日、父がいつもとは違う、明らかにいつもより高級な店構えの
すし屋に私達家族を連れて行ってくれました。そこで出された穴子に感動し、
その勢いに乗せられてネギトロを食べたらこれも旨い。ネギトロが旨いと思うなら
中トロも旨いと言われ、その時点でもはや殆ど完全に「すし=旨い」の暗示に
かかっていた私は、片っ端から出された寿司を口にし、その全ての旨さに感動したのでした。
この体験で私の食の感性がまるで宇宙のように広がったのです。

私の味覚は、寿司によって本当に覚醒されたと思います。どうしてこんな素晴らしい料理を
頑なにで拒んできたのでしょうか。今まで玉子とかっぱとかんぴょうだけしか食べないことで、
私はどれだけの喜びの瞬間を自ら放棄してきたのでしょうか。この機会損失の無念さは、
「もったいない」という言葉でしか表現することができません。
食わず嫌いとは、この「もったいない」の温床だったのです。


独立のきっかけはシアトルへの留学でした。留学先では世界中から生徒が集まってきて居て、顔を合わせると大体お国自慢が始まるんですね。とくにヨーロッパの人たちは自国に強い誇りをもっていました。逆に日本人はというと、言い訳から入っている。家が狭といか、物価が高いとか、謙虚な姿勢の表れだと思んですが、日本人は日本の良い所をを紹介できていないって思いました。

例えば、ヨーロッパの友人に日本を紹介するとき、明治神宮や浅草寺など歴史的なものを見せたり、寿司たべさせたり、飲み屋に連れて行ったりすると喜ばれます。日本の食文化や歴史は手放しで自慢できる部分ですよね。
でも、やっぱり同世代の人間はファッションに興味ある、渋谷・原宿連れて行っても、ギャルソンとかビームスとかあるけど、結局『これって日本人がデザインしたものなの?』って質問されたりするんです。 
デザインの細かさを見ると日本ぽさは表現されているけど、とくに、プロデュースの部分では欧米至上主義になっている。
単純な話でいうとブランド名や商品名に使われている文字は英語・フランス語がプリントされ、日本語がまったく排除されている。基軸である言語が使われていない。日本語の存在価値が薄れているという危機感を持っているんですね。


ご近影


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