検証39:毛人(女性)→河勝(仏)
池田理代子は、暗に山岸凉子『日出る処の天子』を指して、聖徳太子(厩戸)と毛人の「霊的恋愛」に「違和感」を表明している(朝日新聞における池田理代子氏の発言について参照)。
しかし池田氏は、「霊的恋愛」部分を抜いただけで、山岸版毛人の設定をそっくりそのまま『聖徳太子』で盗用しているように思われる。池田版における河勝の性格や容姿、物語上の役割などは山岸版毛人そのものである。(毛人+調子麻呂=河勝+調子麻呂参照。)
しかし池田氏は、「霊的恋愛」部分を抜いただけで、山岸版毛人の設定をそっくりそのまま『聖徳太子』で盗用しているように思われる。池田版における河勝の性格や容姿、物語上の役割などは山岸版毛人そのものである。(毛人+調子麻呂=河勝+調子麻呂参照。)
さて、この二つの絵は、右は山岸版、左が池田版であるが、二つの絵の構図やペンタッチがまったく同じであることに注目していただきたい。
山岸版は、厩戸が女性について毛人に聞いたところ、「しかし…女性は」と女性の良いところを毛人が述べるシーン。
池田版は、厩戸が仏について聞いたところ、「しかし仏は」と、「But」をつける必要のないところで何故か「しかし」を用いて、以下、仏の良いところを陶酔しながら説明しているシーンである。
二人のセリフがそっくりであるだけでなく、この二つの絵は顔の表情・顔の角度・コマの配置や効果・服装・髪型・首の太さ、何から何まで同じである。
盗用ではなく、単なる偶然でここまで一致することがありうるだろうか。それこそ「違和感」を覚えるのだが。
山岸版は、厩戸が女性について毛人に聞いたところ、「しかし…女性は」と女性の良いところを毛人が述べるシーン。
池田版は、厩戸が仏について聞いたところ、「しかし仏は」と、「But」をつける必要のないところで何故か「しかし」を用いて、以下、仏の良いところを陶酔しながら説明しているシーンである。
二人のセリフがそっくりであるだけでなく、この二つの絵は顔の表情・顔の角度・コマの配置や効果・服装・髪型・首の太さ、何から何まで同じである。
盗用ではなく、単なる偶然でここまで一致することがありうるだろうか。それこそ「違和感」を覚えるのだが。