池田理代子オフィシャルサイトにおける投稿について
池田理代子オフィシャルサイト(http://www.ikeda-riyoko-pro.com/)のBBSにおいて、朝日新聞での池田氏の発言について投稿があったが、管理者側から削除されたと思われるものがいくつかある。池田氏の投稿と共に引用する。(改行位置は適宜変更)
管理者によって削除されたと思われる投稿
※いずれも返答無しで削除されたと思われます。
1.1 「2007/05/14(Mon) 20:28 タオ 朝日新聞を読んで 」
初めてこちらにお邪魔します。
先ほど朝日新聞の記事を読んで思うことがあったので。
記事と一緒にイラストも掲載されていて、最初見た時は山岸氏のイラストと間違えました。
違うと分かった後もパロディかと思うほど特徴が類似してました。それだけでも不愉快なのに、
あからかに山岸氏を指して「違和感を覚えた」とのコメント。
正直、私自身双方とも好感を抱いていた漫画家さんだけにとても残念です。
同じテーマを描くのに、相手を否定するようなことを公式の場で発言のはどうかと思います。
それに今更どうして昔の作品を引合いに出すのか、そっちの方に違和感を覚えるのですが。
1.2 「2007/05/14(Mon) 20:48 サト 聖徳太子について」
5月14日の夕刊に池田さんの『聖徳太子』についての記事がありましたので、
読ませていただきました。
その中で「太子の顔に特定のモデルはありません」とありましたよね?
でも私は山岸涼子さん作の『日出る処の天子』の聖徳太子と酷似していると思っていましたので、
いまいち納得がいきません。お返事をお願いします<(_ _)>
1.3 「 2007/05/15(Tue) 02:28 あや Re: 朝日新聞を読んで」
私もその記事を読み、正直違和感を覚えました。
本当に池田先生も山岸先生も好きで・・・先生を責める気にはなれないけど、どうしても違和感を持ってしまいました。
漫画家は歴史家じゃないと思います。
歴史的事実だけを漫画にするだけの漫画だけが漫画だったら、私たち読者は楽しめません。
そして漫画は創作物です。
史実に対して違和感を覚えることもあって当然なことだと思うんです。創作物ですから。
そして他人の創作物は他人の創作物でしかないと思うんですね。
学者だったら他人の学説に異を唱えて自分の学説を唱えるのは当たり前ですが、
漫画という創作物で、他人の創作物に対して意見しても、意味のあることのようには思えません。
たぶん先生にはそのように意見や否定したつもりはなく、「この解釈に対して、
自分はこのような解釈をした」、という感じで歴史家のような視点で発言されたのかも知れませんが、
双方どちらも名のある先生でいらっしゃいますから、誤解されるような発言は避けて欲しかったです。
記事にされた方の書き方にも問題はあったと思いますが・・・。
1.4 「2007/05/18(Fri) 06:05 アディーナ 聖徳太子の髪型について 」
池田先生の文庫版の第四巻の表紙の聖徳太子の髪型ですが、わっかに二つに結んで、
その中央から髪をたらして、その結び目に髪にバラの花がついてますよね。
同じく聖徳太子を描いている、山岸氏は、編集に「えっ!女が出てこない少女マンガなんて」と言われ、
華やかさが出るようにと、髪型にお花をつけたり、「少しは美しく描くよう努力」したそうです。
編集さんに納得させるのって大変なんですね。
山岸氏の絵で、有名な、片ひじをついている皇子に、左ななめ上から毛人がお花をつけてあげているシーンのカラーがあります。 (日出処の天子 文庫第二巻 裏表紙)
それを飯田耕一郎氏が吹き出しで 「ヴァカモン、この時代に薔薇の花があるか。」(皇子)、
「まあまあ花を召しませランララン」(毛人)とセリフを入れて、
パロディにして「ぱふ」1981年1月号 山岸涼子特集 によせています。
山岸氏は、創作漫画として描いたそうで、男性の髪にお花をつけたり、
まして薔薇のような華やかな花(当時ないもの)をつけるというのは、まったくの創作だそうです。
私が調べた限りでは、聖徳太子三尊の両側の童子も、奈良以降に作られた聖徳太子像でも、
全部、「聖徳太子」といわれているものの髪型は、もう少しおだんごっぽいもの、
あるいはわっか状にしていても、中央から髪をたらしたり、
ましてやお花をつけているものなどは資料として見当たりませんでした。
いわゆる創作漫画とは違うものとして、先生が描かれた聖徳太子は、
登場人物の髪型の資料としては何をご覧になったのでしょうか。
私は歴史に興味があり、調べたいので教えてください。
補足
1.4の投稿で「パロディにして「ぱふ」1981年1月号 山岸涼子特集 によせています。」となっていますが実際は飯田耕一郎氏のパロディではなく、LaLa 1980年8月号「日出処の天子」の扉絵が初出です。(検証画像18(この時代に薔薇の花があるか)参照)
1.4の投稿で「パロディにして「ぱふ」1981年1月号 山岸涼子特集 によせています。」となっていますが実際は飯田耕一郎氏のパロディではなく、LaLa 1980年8月号「日出処の天子」の扉絵が初出です。(検証画像18(この時代に薔薇の花があるか)参照)
池田理代子氏の投稿
「2007/05/18(Fri) 02:34 池田理代子 Re: 聖徳太子 」
私の「聖徳太子」の場合は、大阪の四天王寺創建1400年を記念する行事の一環として、四天王寺さんから
「聖徳太子の正史を」と注文を受けて書いたもので、特にもとネタというものはありません。
四天王寺さんも叡福寺さんも法隆寺さんも・・・ゆかりのあるお寺がもてる限りの資料をご提供くださり、
詳しいお話しをしてくださり、また、仏教学の大御所・中村元先生が監修をしてくださり、
「これは学者の監修を経た正史である」旨のお言葉をくださいました。
いわゆる創作漫画とは性格を異にするものです。そういうものとしてお読みくだされば嬉しいです。
補足
- 池田版『聖徳太子』に監修者として中村元氏の名前は明記されていない。
- 創隆社版『聖徳太子』の帯に「古代史の入門書として楽しく学べる傑作だ。」と中村元氏の感想が寄せられている。
『日出処の天子』について オフィシャルサイトの投稿 検証1:王子の超能力