魚津城の戦い

【用語名】 魚津城の戦い
【読み方】 うおづじょうのたたかい

【詳細】


4の下で行われた戦いで、史実では柴田勝家と上杉景勝の軍が戦った。
勝敗としてみれば織田軍の勝ちであり、上杉軍は自害しまくった者が多い。

史実での戦いの経緯はここ参照。

これだけを見れば織田軍の勝ちではないかと言うことになるが、この直後に本能寺の変が起きる。
つまり織田信長が明智光秀に暗殺されるのである。

P.A.OdaにしろM.H.R.R.にしろ信長関係の歴史再現は、暗殺を回避するため理由をつけてだらだらやっていたりするのだが、
史実では信長が死ぬと柴田vs.羽柴の戦い(賤ヶ岳の戦い)が起きて柴田が死んだり、
そこから進めていくと、五大頂も解っているメンバーのうち利家と羽柴を除き、謀反などで死んでしまうため、デメリットしかない。
しかし、歴史再現を行い続けなければ羽柴の天下が来ないため、ある種のジレンマとも言える。

当初、P.A.Oda・M.H.R.R.サイドでは手取川の戦いだけにしておいて、魚津城の戦いをしないでおこうとしたのだが、
手取川の戦いの重要ポイントになる七尾城をノヴゴロド襲名していて、ここには黎明の時代の遺産があり、
武蔵サイドに見られると非常に不味いため破壊しておいて欲しいと、柴田が十本槍に頼んでいた。

だが、手取川の戦いだと七尾城となっているノヴゴロドでは破壊活動が出来ない(史実では、織田・羽柴サイドは七尾城に入らずに戦いを終えている)。
そのため、万全の体制で信長暗殺の歴史再現に望むべく利家が魚津城の戦いへシフトするべきだと提案した。

今までの生活を手放したくない不破・光治は反対するが、羽柴がこれを認定。
地摺朱雀に投げ飛ばされていた森・長可が戻ってくるのに合わせこの歴史再現を可能とした。

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最終更新:2012年10月01日 11:39