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 *第二次HBM-X計画(2029~2039)
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 ◆概要◆
 
 第二次HBM-X計画は、2029年から2039年にかけて実施された、
 日本皇国陸上防衛軍の制式[[HBM]]、[[八六式機士>八六式機士スサノオ]]の後継車両となる
 次世代型HBMの開発を目的としたプロジェクトである。
 当時のHBM開発事情から、日本の戦闘車両開発計画としては珍しく、
 国内の防衛産業数社に、同時に別々の試作車両の設計・開発を行わせ、
 性能比較試験などを経た上で、その中から一種類を選定するという、
 競合試作方式が採られた。
-
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-◆背景◆
-
-2010年台より、世界の軍事先進各国は、同時多発的に人間型戦闘車両、
-『HBM』の研究開発に着手、2020年台後半には、十数種類ものHBMが
-実用化され、世界各国で実戦配備が進められた。
-日本皇国もこの流れに乗じ、2016年より防衛省技術研究本部にて
-装脚式戦闘車両の開発に関する技術研究をスタート。とりわけ日本は、
-ロボティクス産業の分野では世界最高レベルの技術を有していたため、
-HBMの開発に当たっては、大手企業から小規模のベンチャー企業まで、
-民間からの技術協力を積極的に募ることで、基礎分野の研究費を大幅に
-抑制、開発コストを押さえながらも、高性能のHBMを世界に先駆けて
-実用化することに成功したとされる。
-この装脚式戦闘車両開発計画は、『HBM-X計画』と呼ばれ、
-後にその後継車の開発を目的とした『第二次HBM-X計画』がスタートした後は
-『第一次HBM-X計画』と呼ばれることとなった。
-ともかく、この計画によって開発された日本の国産HBMは、2025年に
-試作第一号車が完成、『キイ車』(キ=機士、イ=1番目)のコードネームを
-与えられ、各種テストが行われた後、2026年に『八六式機士』の制式番号と、
-『スサノオ』の公式ニックネームを与えられ、陸上防衛軍富士教導団に
-新設された機士教導隊へ配備が開始された。
-
-八六式機士は、後に第一世代型HBMとしてカテゴライズされることになる
-黎明期のHBMの中でも、卓越した性能を誇り、特に新技術による
-大容量コンデンサを搭載することで発電エンジンを停止した状態でも、
-短時間ながら戦闘機動が可能となるなど、技術的にも先進的な車両であった。
-同時に、翌年武器輸出に関する制限が撤廃されたことで、本車は性能を一部
-限定された物が、台湾やシンガポール、タイなどにも輸出されている。
-しかし、まだまだ発展途上の兵器であった他のHBMの類に漏れず、
-八六式もまた、稼働率や実戦での運用における信頼性の問題など、
-AFV(陸上兵装車両)として十分な完成度を持っていたとはいえなかった。
-それを見越していた防衛省技術研究本部は、八六式の完成より以前から、
-その後継車となる次世代型HBMの模索と基礎研究をスタートさせていたと
-言われている。
-
-かくして第二次HBM-X計画は幕を開けることとなったが、
-実のところ当時は、今後の世界のHBM開発の潮流すらも定かでなく、
-そのため何を持って次世代型HBMとするのか、といった開発ヴィジョンを
-明確にすることが出来なかった。無論、運用サイドからの意見も数多く
-寄せられていたことは事実だが、世界的に運用ノウハウすら満足に
-確立されていないHBMにあって、それらをフィードバックしたうえで
-何をどうすべきなのか、展望は全く見えてこなかったのである。
-
-これに頭を抱えた防衛省技術研究本部は、苦肉の策として、
-民間企業に次世代型HBMの競合試作を行わせる方針を決定。
-とりあえず、現在および将来の国防において、HBMに最低限必要と
-思われる大まかな仕様だけをまとめ、「これを満たすものであれば
-あとは何をやっても構わない」との条件を提示したうえで
-国内の防衛産業からの参加を募った。
-
-防衛省、陸上防衛軍が、新型HBMに求めた主な性能は以下の通り。
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-(イ).特に市街地や、山岳地帯等における、より円滑な戦闘機動を可能とすること。
- ならびに、ゲリラ・コマンド対処能力の向上。
-(ロ).航空防衛軍が現在運用中の輸送機、ボージングC-52ストラトライナーⅡに
- 二~三両が搭載可能であること、
- もしくはその他の代替手段により遠隔地への迅速な展開が可能であること。
-(ハ).総合的な戦闘能力は、既存のHBMを容易に凌駕し得るものであること。
-(二).野戦における稼働率の向上。また、激しい戦闘機動にも耐えうる事。
- ならびにライフサイクルコストの抑制。
-など
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-◆参加企業◆
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-この競合試作には、日本最大の防衛産業である[[光菱重工業]]、
-建築機械の老舗で、防衛軍の各種装甲車や、八六式機士の製造も手がけている[[古松製作所]]、
-前衛的な技術開発で知られる[[四ツ葉工業]]や、
-大手防衛産業の下請けとして技術力を伸ばしてきた[[中日本工業]]、
-新興の防衛ベンチャー企業である[[新銘工業]]の5社が参加を表明。
-防衛省技術研究本部は最終的にこの5社すべての参加を承諾し、
-研究開発費の助成や、一部基礎技術の提供などを行った。
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-その半年後には、各社とも大まかなコンセプトデザインを防衛省に提出、
-(但し光菱重工の試作車は、後に大幅な仕様変更を行っている。シナリオ参照)
-それぞれ、キロ車(キ=機士、ロ=2番目、以下同様)、キハ車、キニ車、
-キホ車、キヘ車のコードネームが技術研究本部によって与えられた。
-しかしながら、これらの試作車には、開発陣サイドで既に非公式の愛称が
-与えられており、また防衛省側のスタッフの間でも、先述のコードネームより
-開発者によるニックネームの方が通りが良かったようである。
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-
-◆アメリカの介入◆
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-一方、この第二次HBM-X計画が公表された直後、皇国幕府ならびに防衛省は
-アメリカ合衆国政府ならびに[[ジェネレーショナル・ダイナミクス社]](以下G・D)より、
-現在開発中のM3リッジウェイ機兵の改良型の導入を打診された。
-これは、表向きには「提案」であったとされるが、水面下では、日本がアメリカ政府と締結していた
-ニュークリア・シェアリング条約の期限更新を盾にした外交的圧力であり、
-M3を今度のHBM-Xに選定しなければ、ニュークリア・シェアリングの期限更新を
-凍結するという強引なものであった。
-幸い、日本側の外交努力により、「M3を第二次HBM-Xの候補に加える」という取り決めに
-落ち着いたが、この後も米政府、G・DはM3を日本側に採用させようと、ありとあらゆる策を講じ、
-それが後に、大きな混乱をもたらすことになる。
-
-米政府およびG・Dがこうも躍起になってM3を日本に押しつけようとした背景には、
-日本企業により、米軍事産業の国際的シェアが侵されることへの強い危機感があったといわれている。
-特に2028年にブラジルが行ったHBM選定作業において、八六式機士がM3を下したことは
-G・Dのみならず、米軍産複合体に大きな衝撃を与え、日本の軍需産業は彼らにとって、
-大きな脅威として認識されるようになったのである。
-したがって、米軍産複合体は、アメリカ製のHBMを日本陸上防衛軍に採用させれば、
-兵器の国際市場において大きなアピールになり、巻き返しを図れると考え、
-共和党議員を通じて米政府に働きかけたのが、今回の経緯であると見られている。
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-ともかく、このM3機兵は2035年に改良第一段階型である[[M3A1>M3A1リッジウェイ]]の登場を経て、2038年には
-さらなる改良型であるM3A2の試作車両が完成、これがG・Dの第二次HBM-X候補として、
-正式に日本側へ提案される車両となった。
-
-ちなみにG・Dは、日本へのM3の販売を見越して、日本側の大手防衛産業である河崎重工と、
-採用時のライセンス生産権まで含めた契約を締結していた。実は当初、河崎重工自身も
-第二次HBM-X計画への参加に名乗りを上げていたのだが、米政府およびG・Dが、
-M3改良型を推薦する企業(つまり国内代理店)を日本側にも求めたことと、
-万一、M3改良型を採用せざるを得なくなった「最悪の場合」にも、
-国内のHBM製造技術が廃れる事を避けたいと考えた幕府に泣きつかれた結果、
-同社は自社によるHBM開発を断念。
-しかしながら、下請けであった部品メーカー、中日本工業にこれを引き継がせ、
-せめてもの抵抗を図っていた(但し、G・Dや米政府の手前、河崎は表立っての協力が行えず、
-中日本工業のHBM開発作業は難航した)。
-
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-
-◆そして、トライアルへ◆
-
-期限である2038年1月までには、G・Dを含む全ての参加企業において、それぞれの試作車両が完成。
-そして1月4日、降りしきる雪の中、陸上防衛軍東富士演習場に、各企業の試作型HBMが、
-トレーラーで次々に搬入されていった……。
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