歩き続けて2時間、エステルはいろいろと限界だった。
つらい、苦しい。重力が自分の体を下へ下へと押しつけていく感覚。
なにか覚えがあるとおもったら、悲しくなった。
どうしようもない、あの喪失感。

艦を失ってネーバルにいた頃と同じだ。

足が地面にくくりつけられたように動かない。
目の前の男はあまり深く気にせずにすいすいと進んでしまう。
それが辛かった。

やっぱり自分は、ダメなんだろうか。
おいていかれてしまうのだろうか。
声をかければ楽になるかもしれない。でも嫌だった、
艦失者として受けた同情や憐みがこもった眼で見られるのは、
どうしても嫌だった。

額を伝う汗をぬぐうと髪が乱れた、自分の姿にも嫌気がする。
もっとおしゃれをした方がいいのだろうか、そうしたらいろいろ喜んでもらえるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎってあわてて否定する。
わたしはそれでも船乗りか。見た目よりも、大事なものがあるのに。
自分の気持ちがよくわからなかった。
つらいのは、身体の疲労だけではない気がする。
「少し、休みましょうか」
「・・・」
 時雨の目が、憐れみを含んだ眼に見えた。その顔を見なくても済むように
エステルは静かにうなづいた。
 時雨に案内された場所は作業者の休憩所のようなところだった。
雑多なものにあふれていて、エステルにとって珍しいものもたくさんあったが
不衛生で触る気になれない。
「お茶、いかがですか?」
「後ろを向いててください」
 時雨の声をわざと無視して、足を見る。ひどく冷たい言い方になってしまった、と思ったが時雨は「はい」とおとなしく返事をするだけだった。
エステルは深いため息をつくと自分の足を見た。靴の下はひどい有様に違いない。鈍い痛みが足元から這い上がってくるかのようだ。ひざも言うことをきかない。
少しでも楽になろうと靴を脱ごうとして、鋭い痛みが走った。
「いたっ」
ようやく靴が脱げたと思ったら思わず声が出てしまった。声と同時に時雨が
振りかえる。あの目に見られたくなくて、思わず手に持っていた靴を力いっぱい投げつけた。
倒れる時雨の表情が自分がおもっていた表情と違ったのを見て
エステルは少しだけ、自分のしたことを悪いと思った。

だけど、もともとの原因がこの男だと思うと、心配してやるのも癪に障るので
そのまま放置して、自分の手当をすることにした。
ほとんど破れてしまったタイツを脱いでみると足に肉刺ができていた。
痛いはずだと思う。
肉刺のできている部分は少しだけ熱をもっているように熱い。
本当は熱いではなく痛い、なのかもしれない。
初めて感じる痛みにエステルは眉をひそめた。
その後ろで、のんきそうにイテテと言いながら時雨が起き上がる。
「……後ろを見てといったのに・・・」
 靴をぶつけたことを謝ろうと思ったのに、口から出てきたのは
いつもの通りの冷たい口調だった。
「心配なんです」
 時雨の声、やっぱりどこか遠慮したような声だ。
「いやらしいだけです」
 なぜだか、きっぱりと否定したくなった。でないと自分をうまく保てそうにない。
「いやらしいって……」
 困惑したような時雨に追い打ちをかけるように、必要なものを告げる。
「消毒薬をください」
 できる限り冷たく言ったのに、時雨はいつもの通りに「わかりました」といって
脱脂綿とピンセットも一緒に、ちゃんと言ったとおりにこちらを見ないようにして
渡してきた。
 どうして、この男はここまで自分に優しくできるのだろう。
 もしかして本当におかしいのだろうか…、そんな疑問が頭をよぎるが、足の痛みは
耐えがたい。消毒液が滲みる痛みに眉をひそめながら悪態を吐く。
もっと違うあり方があったはずなのに、口から出る言葉は止められなかった。
「すみません……無理をさせてしまって」
 控えめな時雨の声にすらいらついた。
「あやまらないでください。これも訓練です」
 みじめだと、そう思った。何よりもこれは訓練だとそう強く思いたかった。
「……わかりました」
 あっさりと引き下がる時雨にエステルは言葉を失う。だけど一方で納得した、
やはりこれが正しいのだ、と。だだ何故か、後を向いた時雨の背中がさみしそうで
間違ってはいても少しだけ本音を言いたくなった。
「地上を歩くのは、楽しいかなって」
「今度、練習しましょう。ちゃんと」
 思いきり勢いよく食いついてきて少しびっくりした。
「一人でやります」
反射的にそう言ってしまってから、はっとする。
「手伝いくらいは、させてください。せめて、差し入れくらいは
 一人でやるより、そっちのほうがいいと思いますから」
 時雨の言葉を聞いてから初めてエステルは自分が、一番最初に「時雨と」自分が
一緒に訓練する姿を思い描いていたことに気がついた。
「……」
 少しだけ、期待してもいいだろうか。
 時雨もまた同じように思っていたのだと、ずっと一人でいる自分に差しのべられ
たこの手は本当に自分のためのものだと思ってもいいのだろうか。
エステルは戸惑いながら、口を開く。
「少しなら」
そう少しなら、そんな期待を抱いてもいいのかもしれない。自分に納得させるよう
に言うと、時雨は嬉しそうに承諾してくれた。
その声を聞いて、エステルは自分が柄にもないことを考えていることに気がついた。
これではまるで…そう思うと自然と顔が赤くなる。
「帰ります」
 ごまかすように強気に言う。時雨は何か自分の変化に気づくだろうか、
そう思ったが、時雨の返事はいつも通りだった。
「わかりました。車を呼びます」
 そのセリフにエステルは静かにため息をついた。もしかして、今回も自分の勘違い
だったのだろうか。地上のルールは難しい、異星人と呼ばれるエステルにとって、
時雨こそが本物の異星人のように見えた。

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最終更新:2008年03月12日 22:36