- 01-009 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 04:57:46
ID:lS8qXGBD
- あー、やだやだ。
今日も、どうでもいい朝がやってくる。
どうしてわたしって、教師をやっているんだろう。
ホントは、この仕事ってどうかと思うの。世間も何も知らない若造たちの前に立って
「ここはこの表現が適切ですね」とかって、ホントどうでもいいの。
例えば「斉藤くんは、もっと漢字を上手く使えたらよくなるよ」なんて言っているけど、
斉藤さ、アンタはバカだよって言ってやりたいんだよ。ホントはね。
でも、わたしは教師。
何となく大学で教職課程を取って、何となく教育実習。
成れの果てには、中学教師。成り行きとは言え教壇に立つ義務がある。
この子たちに国語を教える義務がある。
義務ってなんだ?って言いたいけど、お金も欲しいし地位も欲しいし。
はあ、太陽ってどうしてわたしをムカつかせるんだろう。
学校に向かう生徒たち。その中に混じってわたしは、学校へ同じように向かう。
「より子先生、おはようございまーす」
わたしの教え子たちが、初夏の風を切り手を振りながら通り抜ける。
わたしも同じようににっこり笑って、その笑顔に答える。
(朝からはしゃぐなよ)
はあ、頭が痛い。
- 01-010 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 04:58:08
ID:lS8qXGBD
- 「あの、先生。昨日の宿題…持ってきました…」
気の弱そうな男子が、朝食代わりのパンをほおばるわたしの元にやってくる。
「ん…」
もごもごするわたしに、どうして話しかける。だからあんたは友達いないんだよ、太田くん。
パンを牛乳で流し込み、太田のノートをパラパラ捲る。けっしてきれいではない文字が並ぶ。
この宿題、太田だけ提出していなかったんだが、わたしだったらトンズラして提出はしない。
なのに真面目に提出してきた太田。何も言ってないのに、泣きそうな顔をしている。
ざっと見てひいき目でも、おおよそ中学生の文字とは思わない太田の文字。
「うん、よくまとめられているね。太田くんもどんどん伸びると思うよ」
んなわけないだろ。こんなヤツ、もう一度小学生からやり直せ。
って言いたいのは我慢して、ポンと太田にノートを返した。
太田は体も小さいし、気も小さい。わたしが同級生だったら、ぜったい苛めているタイプの子。
おまけに成績も芳しくない。こんなおまけは欲しくも無いので捨ててしまいたい。
お陰でわたしのクラスは学年で平均点も低く、学年主任のサルもわたしのことを睨みつけているのだ。
「三川先生。今度の期末考査はお願いしますよ。先生の考査って言っても過言じゃありませんからね」
ちくしょう。サルがわたしにふらっと圧力をかけてくる。
「お任せください。中間考査よりもご期待ください」
太田が邪魔なんだよなあ。太田が
- 01-011 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 04:58:28
ID:lS8qXGBD
- わたしの担任するクラスは、どちらかと言うとごく普通のクラス。
平均的に騒がしく、平均的に男女仲はよい。しかし、太田は違う。
さっきの太田だ。彼は誰とでも仲良くなるタイプではない。
聞く所によると、けっこうなお坊ちゃんで友達は自分ちの飼い犬ぐらいらしい。納得。
「さて、期末考査の範囲を発表しまーす」
生徒たちは一気に顔面蒼白になり、数字の恐怖を思い出す。
エヘヘ、おもしろい。一気に夏に向けてお気楽気分の生徒たちが、恐怖に慄く姿は何度見ても面白い。
わたしが教師になって、良かったと思える唯一の瞬間だ。
「みんな頑張れば出来る子ですから、いい点とって夏休みを迎えましょうね」
そうなのだ。いい点とって欲しいのだ。さもなければ、わたしの夏が薄ら寒い物になってしまう。
ねちねちとサルのお説教が襲ってくる。頼むから隣の組には勝って欲しい。
そんな期待を裏切ってくれそうな太田が、昼休みにわたしの元に再びやって来た。
「先生…分からない所が…」
きっと、聞ける友達が居ないのだろう。やれやれと思いながら太田の質問に答える。
「あっ…そうか。なるほど…」
はあ、どうしてこんなことが分からなかったのかい?
わたしの授業を思いっきり否定するような子だ。太田をすこしからかってやろうと、わたしの方から質問してみる。
「太田くんって、よく質問してくるよね…」
太田の顔が真っ赤になる。リンゴのように真っ赤だ。
そんなリンゴはウサギが跳ねるようにわたしの元から逃げていった。
- 01-012 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 04:59:14
ID:lS8qXGBD
- 「より子先生って、好きな人いるんですかあ?」
ホームルーム終わりのだらだらした時間に委員長が、わたしに話しかけてきた。
「わー!聞きたーい!」
「より子先生って、どんなタイプが好きなんすか?」
いつも間にか、クラスの女子どもが集まってくる。
言いだしっぺの委員長は、ショートカットのメガネっ子。
明るくて誰とでも仲良くなれる、わたしの一番嫌いなタイプの子だ。
生徒たちの前では明るく振舞うわたしに、興味を持つなと言うのは
箸が転がってもケラケラ笑うお年頃の子には、酷なことなんだろう。
「ハイハイ、早くお家に帰りなさい」
「かっわいい!!より子先生が照れてる!!」
「ち、ちがうよ!ほら、委員長もこの後、委員会があるんでしょ?」
「へへへ。もう少し時間があるから、より子先生と一緒にいたいなって」
この子たちは、子犬のようにわたしにまとわりついてくる。
「先生の好きなタイプを聞いてから、お家に帰りまーす!」
他の子たちも調子に乗って、くだらない話題に乗っかってくる。
「例えばさあ!太田とか?」
うっ、その名前を出すか。確かに太田はお坊ちゃんらしいので、玉の輿とかいいかもしれない。
しかし、太田本人となるとお話は別だ。それほど、わたしはアホではないぞ。
さらにおせっかいな委員長は、ほって置いて欲しいのにわたしを晒し者にしようとする。
「わたし、より子先生と太田の架け橋になっちゃおっかなあ?」
「なに?ソレ!うける!!」
「太田さあ、いっつもより子先生の所にいてるじゃん」
「きゃはは!お似合いだ!」
委員長、二度とソレ言うな。
- 01-026 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:55:00
ID:lS8qXGBD
- 今日は仕事が残った。悲しいかな、なかなか終わらない。
できれば家に持って帰りたいのだが、昨今の個人情報ナントカでダメだとサルが言う。
一人で寂しく机で仕事を続ける。ふと時計を見ると、もう夕方5時を回っていた。
職員室の隅っこで委員長と太田、そしてうちのクラスの女子・水上飛鳥が雑用をしていた。
トントンと紙を揃える音が、遠くから聞こえてくる。
女子二人はテキパキとこなすなか、太田はオロオロとするばかり。
とろい太田もムカつくが、したり顔でテキパキとこなす女子二人も偉そうだ。
わたしがお手洗いに行く途中、ヤツらに近づき偽善的な社交辞令をかわす。オトナとして。
「頑張ってる?」
「あっ、より子先生」
「わたし、のど渇いちゃった!」
「そんな事言っても、何も出てこないぞお」
委員長と飛鳥は、あははと笑っている。太田は黙って仕事を続けていた。
お手洗いを済ませ扉を開けようとしたとき、外からさっきの女子二人の声が聞こえてきた。
扉を開けるのをやめ、こっそり耳を傾ける。
「ねえ。どうして太田なんかに頼んだの?全然進まないじゃない」
「飛鳥さ、ヤツってとろいけど仕方ないじゃん。放課後とかヒマそうだし。
でね、今度デートしてあげるって言ったらヒョイってね、来ちゃった」
「マジ?デート行くの?」
「んなわけないじゃん!」
「委員長も悪いなあ。アハハ!」
嫌なヤツが嫌なヤツの悪口を言っている時ほど嫌なものはない。
嫌なヤツが何をしようとも、わたしには目障りだ。但し、太田の肩を持っているわけではない。
女子二人の声が遠ざかるのを確認すると、わたしはこっそり職員室に戻った。
- 01-027 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:55:28
ID:lS8qXGBD
- 職員室に戻ると、阿鼻叫喚の地獄絵図が待ち構えていた。
太田が女子二人のいない間にインクのビンを倒し、せっかく揃えていた資料を台無しにしていたのだ。
飛鳥は今にも泣きそうな太田を責める。
「太田!ふざけんなよ!!」
「まあまあ、飛鳥も落ち着いて!太田もワザとやったんじゃないし」
いちおう委員長は、職員室の中だからか飛鳥をなだめようとしているが、
さっきの会話を聞いたわたしには、今後の為の点数稼ぎにしか見えない。
収まりの付かない飛鳥。太田の襟首をぐっと捕まえている。
「太田さあ。黙ってないで、謝んなさいよ!」
「ご、ごめん」
「声が小さくて聞こえないよ!」
学校内でなければ放って置くんだが、残念な事に事件は職員室で起きていた。
「ほら、太田くんも謝ってるんだし…。ごめんね二人とも」
ティッシュで汚した机を拭きながら、わたしは飛鳥をなだめる。
どうしてこの子たちは、わたしを困らせるのか。太田も飛鳥も委員長もどこぞへと行ってしまえ。
飛鳥はぶつくさ言いながら、委員長は飛鳥をなだめながら、太田は黙って後片付けをしている。
おかげでわたしの仕事も大幅に遅れてしまった。時間を返せ。
- 01-028 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:55:49
ID:lS8qXGBD
- なんだかんだで午後5時半を回り、太田と女子二人は下校時間直前という事で職員室から出て行った。
わたしの仕事もキリがいいので、今日はもう帰ってしまおう。
帰り支度をし、職員通用口から出ようとしたとき、ふと教室に忘れ物をした事を思い出した。
悔しいけど、教室に戻って忘れ物を取って来よう。ああ、メンドクサイ。
またしてもメンドクサイ事が、太田の手によって引き起こされる。
教室の前には、太田がつっ立っていたのだ。
奇妙な事に太田はタオルで目隠しをされて、腕をナントカマンがマントを翻して
空を飛んでいる時の様に前に突き出している。
そして、グーをした手の甲の上には、紙コップがそれぞれ乗っかっているのだ。
「な、何してるの?」
太田は何も答えない。兎に角目隠しを取ってやると、気の抜けた声を太田は発した。
「あっ…ああ…」
ホッとしたり、落胆したり疲れるこの子。太田に何があったのか、仕方なく事情だけは聞いておく。
「コップの中に金魚が…いない…」
「金魚?何、なんなの?」
「コップの中に金魚がいるから、ぜったいひっくり返すなって…」
「何?何?どうしたの?」
「先生…」
- 01-029 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:56:53
ID:lS8qXGBD
- わたしは太田と一緒に下駄箱に向かって歩きながら話を聞く。
太田は俯いたままなので、わたしは担任としての責務だけは果たそうと背中をポンと叩く。
学校の中では、優しいお姉さん先生なのだ。
太田が言うには、こういうことだった。
さっきの作業を終えて、教室に戻った太田と委員長、そして飛鳥の三人。
インクをこぼして資料を台無しにした罰として、二人に命じられて立たされていたのだと言う。
目隠しをした後に、水を湛えた紙コップを手の甲に置き、二人から耳打ちをされる。
「このコップには、校長室の金魚が入ってるのよ。あんたがコップを落としたら…分かってるよね」
と、居もしない金魚をあたかもコップに入っているように、暗示をかけられていたのだ。
「委員長…約束守ってくれるかなあ」
太田は寂しそうに呟く。多分、お手伝いのご褒美デートの事だろう。
そんな事本気にしていたのか、太田は。悪い女に一生騙されていろ。
下駄箱まできて靴を履こうとした瞬間、太田がこんな事を言い出した。
「でも、もうすぐ委員長と水上さんが戻ってきてくれるって…!」
しかし、残念ながらわたしは悲しい事実を知っている。
委員長と飛鳥の下駄箱には、しっかりと上履きだけが入っていたのだ。
こうやってこの子はずっと人に騙され続けるんだろう。ある意味羨ましい。
- 01-030 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:57:16
ID:lS8qXGBD
- 期末考査まで一週間。
昼休みというのに生徒たちはノート交換をしたり、出題範囲の問題を出し合ったりしてあたふたしている。
通りがかりだが、高みの見物は気持ちがいい。毎月でもいいので、テストがあればどんなに気持ちいいか。
でも、太田がいるんだよなあ。学年主任のサルがキーキーうるさく言う原因の。
友達のいない太田は、一人で黙々とノートと教科書を捲って勉強をしている。
相変わらず委員長と飛鳥ははしゃぎながら、勉強のような事をしていた。
わたしに気付いた委員長は、太田に向かって叫んでいる。
「ほら、太田くん!より子先生、来たよ!」
わたしは、太田の家庭教師でも何でもない。ただの担任に過ぎない。
なのに便利屋さんのように、こき使うのはやめて欲しい。
そんなわたしの思いも裏腹に、委員長に促された太田は、わたしに擦り寄ってきた。
「先生。ここの…」
恐る恐る教科書を差し出し、わたしを頼ってくる少年が一人。
このくらい、自分で考えなさい。だから自分で考える力が付かないんだよ、太田くん。
「そうね…。今は忙しいから、また…」
太田は独りぼっちにされたチワワのような顔をする。
「あの…先生。国語が得意になるには…どうしたらいいですか」
「えっと、本をたくさん読む事かな」
なんだか太田に、チワワの耳としっぽが付いているように見えてきた。
太田がしっぽをブンブン振っている所が見える。
- 01-031 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:57:42
ID:lS8qXGBD
- 帰り道、委員長と飛鳥が買い食いしているのを見つけた。
幸い、二人はわたしに気付いていない。平和そうにクレープをパク付く姿は若さの自慢か。太るぞ。
オトナらしく注意をするのか、それとも今後の為に脅しの材料にするのか迷う。
「先生!」
後ろから声がする。太田だ。
両手に本屋の袋を一杯に持っている。なんでも、これから帰ってテストまでに全て読破するらしい。
できるもんならやってみろ、と思っていると委員長と飛鳥がやって来た。
重い本を細い腕で顔をしかめながら持っている太田とは相反して、ニコニコとしている女子二人。
委員長は偽善のメガネ越しに、わたしに上目遣いで甘えてくる。
「より子せんせーい、今度のテストね…あまーく点数つけてね」
「そうそう!さっきのクレープみたいに!」
「飛鳥!だめよ!買い食いなんかしてないよ、わたしたち」
うそつけ。うそなんかつく暇があったら勉強しろ。そしてわたしを安心させるのだ。
「より子せんせーい。クレープ奢ってくれないっすか?」
「そうそう!わたしも委員長も糖分取らないと、勉強しても忘れっぽくてえ」
「飛鳥もなんだ!ほら、より子先生さ、おともだちでしょ。わたしたち」
コイツらと友達になった覚えはない。ただの担任をしている教師なだけだ。
確かにクラスではヤツらと、仲良しごっこのなあなあをしているが、
クレープにジャムとハチミツをぶっかけたような甘えは許さないよ。
「委員長も、水上さんも…先生が困ってるよ…」
意外な伏兵がわたしを助けてくれた。よりによって太田だ。
「なによ。太田、偉そうじゃん」
「飛鳥!」
「…ごめんなさい」
伏兵は剣を敵に振り上げる前に、矢で射抜かれて倒れてしまった。
こんな伏兵は敵地に入る前に、王様から首にされたほうがよかったのではないか。
しかし、太田がわたしをかばうとは思ってもいなかったなあ。
「じゃ、ぼくこれで…」
重そうに袋を両手一杯にした太田は、よろけながら去ってゆく。
しばらく見ていると、太田は一人でこけていた。
「より子せんせーい!ごっちそうさまー!!」
「クレープ奢ってくれるって、なんてやさしい先生なんだろう!」
この二人は勝手にさっき食べていたクレープをわたしの金で、また食べようとしている。
くやしいけど、わたしもいちおう26のオトナだ。ここは目をつぶって二人にごちそうしよう。
『期末考査でいい点を取る』という条件つきだぞ。わかっているのかな、コイツらは。
- 01-032 :より子先生と太田くん:2008/05/25(日) 23:58:11
ID:lS8qXGBD
- 期末考査まであと二日という所なのに、風邪を引きそうだ。
徹夜で無理してテスト問題をつくる毎日が続いたからなあ。体がだるい。
生徒たちにも、風邪引きさんがちらほら見受けられる。季節の変わり目だからか。
「より子先生、わたし風邪を引いてしまいました」
「なんですと!これは一大事ですよ!なんとかして、より子先生のご慈悲を委員長に…」
そんなおべっか使っても、テストの内容は変わらない。むしろ難易度を上げてやろうか。
甘い物ばっかり食べているから、あまちゃんになっているのだ。
隣の席では太田が、せきをしながら本を読んでいた。
わたしが「本を読め」って言ったので、あの日以来ずっと本を手放さない太田。
もしかして、わたしの言う事なら、なんでも言う事を聞くつもりなのだろうか。
「太田くん、あんまり無理をしないのよ。テストも近いし…」
気分悪そうな顔をしながら、うなずいていた。
飛鳥が興味無さ気に、太田の本をちらっと見る。
「ふーん。難しそうなの、読んでんじゃん」
太田は迷惑そうにしていた。飛鳥はいじわるに太田をデコピンしている。
「何て本なの?飛鳥」
「えっとね…なんだか『エフ氏は…』とかナントカって書いていた」
飛鳥はショートショートぐらい読んだほうがいい。委員長もきっとそう思っているだろう。
こんなヤツらに言ってもしようがないのを分かって、ぼそりと弱音を吐いてみる。
「わたし、風邪引きそうだよ…。テスト問題が簡単だったらごめんねー」
「じゃあ、より子先生には風邪を引いてもらわなきゃ!」
「委員長の風邪もらっとく?バカは風邪引かないって言うから、一発で風邪引いちゃいますよ。センセ」
一番元気なのは飛鳥だった。
- 01-044 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:36:28
ID:rwtiHr3N
- 期末考査までいよいよあと一日。生徒たちも教師も後が無い。
ふと、カレンダーはなんて残酷なんだろうって思う。
「コレが終われば、たのしい夏の始まりですよ」
教壇に立って、生徒たちに少しでもやる気を出してもらおうと必死なわたし。
ふっ、いかにも偽善的なのがわたしらしいな。ちょっと、立ちくらみがする。
風邪がまだ残っている為すこし体がだるいが、早めに気付いて薬を飲んでおいてよかった。
そのせいか、昨日より幾らか気分がいい。気分が悪かったら、ぜったいこんな科白は吐かないだろう。
いっぽう、太田はこの日学校を休んだ。風邪が悪化したのだろうか。
教室では相変わらず、飛鳥はぎゃあぎゃあ騒ぎながら、教科書を捲っている。
委員長が飛鳥に優しくポイントをまとめてあげようとしているが、今更だという感じだ。
「こんなことなら、早く勉強しとくんだったあ!!」
「はいはい。わたしがポイントをまとめてあげるから、泣かないの」
「うわーん。委員長ーっ!!」
さあ、この間のクレープの借りがある。いい点を取るって約束だぞ。
約束を破るのは、『ほら、わたしって人気者じゃない?』という、頼んでもないのに
ずんずん前に出る厚かましい態度ぷんぷんなヤツと同じくらい嫌いだ。
クレープに金を使うくらいなら、本でも一冊買いなさい。
そうだ、太田を見習え。ヤツは他に金の使い方を知らないんだろうな。
見た目が女の子みたいな太田は、あんまりおしゃれとか興味ないのか。
元がいいから、何を着てもさまになるんだろうな。委員長がこの事を聞いたら、ブチ切れそうだ。
「ハイハイ!地味なメガネっ子で悪かったですね!どーせわたしは委員長ですよ」
って、ふてくされるんだろうな。あはは、面白い。
と、ふと気付いた。
なんで、わたしったら…太田の事、考えてるんだろう。
- 01-045 :名無しさん@ピンキー:2008/05/28(水) 18:36:53 ID:rwtiHr3N
- わたしはただの担任だぞ。
生徒なんか、わたしにご飯を食べるお金を持ってきてくれる、健気な妖精さんにすぎないのだ。
なのに、ヤツを心配しているなんて、まるでわたしが…。
わたしは自慢じゃないが、26年間人を好きになった事が無いし、人から本気に好かれた事も無い。
もちろんお付き合いなんぞもっての他。そんなものクソ食らえ、と思っていた。
教室に太田がいないだけで、こんなに太田の事を考えるとは思わなかった。
今頃、一人で寂しく布団で寝ているんだろうか。もともと一人ぼっちだから、そんな事は平気か。
でも、太田が…心配だ。
あまりにも心配なので、委員長へ帰り道に、太田のお見舞いに家へ寄るように命じたが
「わたしも風邪気味で、病院行かなきゃいけないんですう」
と甘えた声で断られた。クラスメイトの事なんか心配じゃないのか、委員長のくせに。
仕方が無いので、わたしが行く事にする。
初めて見る太田の家は、普通の家だという印象を受けた。
誰だ。お坊ちゃんだとか言ううそっぱちを言っていたのは。
そんな愚痴はさておき、インターホンを鳴らすと出てきたのは太田本人だった。
「せ、先生」
「珍しいね。お休みだなんて、みんな心配していたよ」
大ウソを付いた。誰も心配なんぞしていない。
玄関では太田が寒がるので、お邪魔して様子を見てみる。
庭ではワンコがわんわん鳴いている。知らない人が来たから、警戒しているのだろう。
「ぼくの部屋にどうぞ…」
「おじゃまします」
太田の部屋は、あまりにもありふれた物。くんくんと男の子の匂いを嗅いでみる。
なんだろう。太田は牛乳の香りがする。思春期の男の子ってそうなのかな。
「ゴホン!散らかってるけど…いいですか」
机の上には、この間大量に買った本の山があった。
きれいに積み上げられた山は、太田の直実さを表す。
「先生が言うから、読んでるんだ…。でも、まだ半分だし…」
約一週間前、わたしが太田に言った事をまだ覚えていた太田。
私自身、すっかり忘れようとしていたのに、太田はすごい。
- 01-046 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:37:36
ID:rwtiHr3N
- 太田の両親は共働き。日中は太田一人っきりとの事。
しかし、誰もやってこないこの部屋。クラスのヤツらはみんな薄情だな、ホントに誰一人来ない。
静かな太田の部屋でじっと生徒と教師が二人っきり。わたしはおろか、太田も二人っきりは苦手らしい。
もじもじしていた太田が、なんとか場を繋ごうと沈黙を破る。
「委員長、怒ってた?」
「え?なんで?」
「ちょっと…約束が…出来なくて…ゴホン!」
まさか、まだあの『デートをしてあげる』ってヤツを信じているとは、太田は違う病気かもしれない。
「ふーん。委員長と仲がいいんだ」
こんな事を太田に言い放つわたしは残酷だ。太田の目が寂しいと言う。
けっして自分から前に出るタイプではないので、太田が何を言いたいのかは、
わたしにはわからない。そういう控えめのところが…いや、何も言ってないぞ、わたしは。
もしかして、このことで深く落ち込んでいるんじゃなかろうか。だが、太田は何も言わない。
「じゃあ、わたしからの約束。太田くんは、今度のテストでいい点数、せめて国語だけでもいい点数を取る事。いい?」
こうしときゃ、太田はやる気を出すだろう。こくりと太田は首を立てに振った。
期末考査当日も休んだりして。
- 01-047 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:38:29
ID:rwtiHr3N
- 期末考査、当日の朝を迎えた。一日目の最初の試験は国語。
わたしもこの日のために、試験問題を作ってきた。生徒たちと勝負の日なのだ。
教師も生徒も思い残す物は無い。みんな、全力でぶつかってゆけ。そして玉と砕けるがいい。
朝のHRが始まる前の教室は静かだ。
クラス中最後の確認として、ノートや参考書のチェックをしている子が多い。
「わたし、もう悪あがきしない!!0点とっても後悔しない!」
「飛鳥はいいなあ。なんのプレッシャーもなくって。ほら、わたしって『みんなの学級委員長』じゃん」
「あらあら。委員長も思いっきり、0点とか取ってみたらスッキリするんじゃない?」
「アハハ!太田と一緒にしないでよ!」
「太田でも取らないよ、そんな点数」
そんな太田は、委員長と飛鳥のうるさいおしゃべりを気にせず、黙々とノートを見返していた。
そう。誰からも心配されない太田は風邪を治し、一人でこの舞台にやってきたのだ。
さあ。己が信じることが出来る武器はペン一本。国語のテストが始まる。
チャイムが戦い始めを告げる。後は、剣と化したペンの走る音だけが残った。
試験監督は、ヨソのクラスの教師が担当する為、太田を始めクラスのヤツらの事はわからない。
むしろ、その方がわたしとしては気分が楽だ。
ヨソのクラスの生徒たちだからなあ、わたしの監督は。いまいちつまらない。
太田は大丈夫だろうか。熱でも出してぶり返しているんじゃなかろうか…。
あっという間に60分は過ぎてゆく。ああ、おしまいのチャイムが鳴る。
- 01-048 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:39:17
ID:rwtiHr3N
- 監督を務めたクラスを後にして、職員室に戻る途中ふと、自分のクラスを覗いてみた。
太田は全てを使い果たしたかのように、机に突っ伏していた。
そんな太田を尻目に、委員長は照れ笑い、飛鳥は頭に星を回しながらヘラヘラと雑談をしている。
「あっ!より子先生!!結構難しかったよお!」
「あはは…。わたし、生まれて初めて赤点取るかもしれません…。より子先生、ありがとうございました」
「飛鳥!寝るなー!最後まであきらめるんじゃない!!」
「だいじょうぶ。みんな頑張ってたから、いい点取れてるよ」
わたしの科白は教師としては満点だが、個人的には最低だ。なにが『みんな頑張ってた』だ。
ただ、学年主任のサルから目を付けられるような結果じゃなきゃ、もうわたしは何も言わない。
しかし、この二人の科白はわたしをげんなりさせるのだ。クレープ代用意しとけよ、二人とも。
続いて二つ目のテスト。わたしの管轄外なので、興味がない。
期末考査中は午前中まで。あっという間にお日様が真上に昇る。
こうして、期末考査の一日目が終わったのだった。
そして、二日目、三日目…兎に角、あっという間に過ぎていく。
生徒たちの気分は夏休み。しかし、わたしには採点と言う地獄の試練が待っているのだ。
ちくしょう、あんまりはしゃぐな。微妙な答えは迷わずバツ付けるぞ。
わたしの赤ペンは、生徒たちを笑わせる事も泣かせる事も出来るのだよ。
- 01-049 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:39:52
ID:rwtiHr3N
- 期末考査の全てが終わり、ほっとするのも束の間。初めての国語の授業がやって来た。
この日は生徒たちに答案を返すという、彼らにとっては判決の日なのであった。どうだ、怖いだろ。
一枚一枚、個人に答案を返す瞬間は、それぞれ個性的である。
ガッツポーズをする子や、何度も何度も見直してわたしにクレームをつける子と、まあ様々。
わたしのさじ加減でヤツらが一喜一憂するのは、なんとなく気分がいい。
わたしの機嫌が悪いときは、平均点が低かったりするのだが、今回はまあ、全体的に良かった。
さて、次の順番は…
「太田くん!」
「……」
「よく頑張ったわ」
太田は謙虚そうに答案を受け取り、そそくさと自分の席に持ち帰った。
休み時間のこと。お約束のように、生徒たちは点数の見せあいっこをしている。
まあ、騒ぐ事騒ぐ事。わたしの機嫌が良かったことに感謝するがいい。
「どれどれ委員長。今回も優等生の模範解答ですか?」
「だめだめ。今回は捨てゲームよ」
「委員長とした事が!こんなときは、さあ!太田くんよ。答案を見せなさい!!」
飛鳥が太田に答案の情報開示を求めている。
きっと、太田の点数を見て安心しようとしているのだろう。
が、水上飛鳥よ。あんたはまだまだ、あまちゃんだよ。
嫌がる太田は肩をすくめて答案用紙を隠そうとしていたが、飛鳥からビンタをされ、あっさりとひったくられる。
さあ、水上飛鳥。太田の点数を見てどう思う?
- 01-050 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:40:19
ID:rwtiHr3N
- 「うそっ!!」
信じられないかもしれないが、太田は国語で98点を取っていた。クラスでトップだ。
「わたし、負けてるの…?いいんちょお…」
「うーん。勝ってる、負けてるで言ったら…やっぱり負けてるよね…」
「ちょっと!!太田!なんとか言いなさいよ!」
「…ごめん」
太田はなぜ謝るのか。癖になるぞ。
オロオロしている飛鳥は、とうとう太田に牙を剥くという、子供じみた悪あがきを始めた。
「ほら!この間さ、より子先生さ、太田ん家いったじゃん!そのとき、答えを見せたんだよ!」
「なるほどなるほど。より子先生と太田ってラブラブだもんね」
「より子先生は太田に甘いもんね」
「いつも一緒だもんね」
「そうそう。『わたしの太田くーん。わたし、太田くんの為なら答えを教えちゃうわ!』ってね」
誰の真似だ、ソレ。委員長も委員長だ、気の無い返事をするくらいなら、こんな話に乗っかるな。
もちろん、わたしは太田にはおろか、誰にも答えなんか見せてないぞ。
第一そんなことをしても、一文にもならない。誰がするもんか。
クラスをまとめる気の無い委員長と飛鳥の勝手な妄想に、何か言いたさげに太田は唇を震わせている。
「…委員長…水上さん……」
「んー」
「これ以上先生を傷つけるな!!」
太田から意外な言葉が飛び出した。委員長と飛鳥は呆気に取られ、クラス中静まり返る。
「ぼくは、いくらバカにされてもいいや…。でも…でも…先生をバカにするヤツは許さない!!」
太田…。
- 01-051 :より子先生と太田くん:2008/05/28(水) 18:41:05
ID:rwtiHr3N
- 「はあ?太田さあ、調子乗んなよ…」
「飛鳥、やめなよ」
「だって、コイツったら…」
「水上!!うるさい!!」
太田の目はその時、オオカミのように蒼く鋭く見えた。間違いなく太田は本気だ。
わたしは、太田にかばわれた。生まれて初めて、人から助けられたかもしれない。
委員長が小さな体で、二人に割って入り騒ぎを収めようとしていた。
太田は肩を揺らし、飛鳥は太田をバカにした目で見つめながら、ひとごとのように椅子に座りあくびをする。
いっぽう、太田は蒼い目はやがてウサギのように紅くなり、涙を湛えていた。
そんな太田が…
かわいい。
「太田くん。ちょっとこっちに」
わたしは太田を呼び、席を外させる。収まりが付かない飛鳥は、まるでようちえんせい。
「やーい。より子先生におっこられたあ!」
飛鳥の声なんか無視しろ、太田。アイツはバカだ。
「太田くん。どうしたの…」
「先生…ぼく、ぼく」
太田はわたしの前に立つと、堰を切ったようにわっと泣き出した。
なにか締め付けられるような気持ちがする。
ずっと、わたしの足を引っ張り続けていたこの子。
しっしと追っ払いたい時もあった。それでも太田はわたしに懐いてくる。
足手まといな自分を恥じていたんだろうか。
ヤツは、よわっちい体でわたしの前に精一杯真正面立ちはだかり、矢面に立ってくれたのだ。
わたしはまかりなりにも国語教師。なのに、太田への感謝の言葉が見つからない。
どうにかして、太田に何かを伝えたいのに…。わたしの方が恥ずかしい。
わたしは、太田をぎゅっと抱きしめる事しか思い浮かばない。
「先生…」
「いいの、いいの」
太田は牛乳のような香りがする。太田の気持ちは、もう分かった。
もう一度言う。
太田が、かわいい。
- 01-072 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:00:09
ID:i7jolVBn
- 太田をぎゅっと抱きしめた日から一週間後。明日は休みというのに相変わらず、太田はびくびく生きている。
全ての期末考査の答案が戻り、ほかの生徒たちはホッとしているのに、太田ったら。
五教科の合計点がはじき出され、数字の自慢がこれから始まるのか。
教師がこんなこと言うのはどうかと思うが、非常にくっだらない。
わたしは、国語以外興味はないのだよ。
あの女子二人は今回満足の行く結果でなかったらしく、少々不満顔。
でも、それがあんたたちの結果なんだから、キチンと受け止めなさいよ。
キチンと太田のように点数を取っているヤツもいるから、わたしはそれで安心が出来るのだ。
そんな女子二人が、太田を囲んで騒いでいる。太田は赤く腫れた頬を手で押さえながら、しくしく泣いている。
「ねえ、これって…マジ?」
「やろうと思っても出来ないよね。普通」
「コイツ普通じゃないじゃん」
女子二人の手には、五教科の期末考査の答案全て。きっと太田のものだろう。
ああ、そこの女子二人。メンドクサイからこっちに来るな、来るなよ。
こっちに来るなって思っていると、やはりコイツらはやって来るのだ。尻尾を振りやがって。
「ねえ…。より子先生、太田ってば…」
「コイツ、すごいんだよ」
太田から強奪してきた答案を、見たくもないのにわたしにムリヤリ見せてくる。
まず、国語が98点。わたしが採点したので、間違えない。
数学・3点、社会・5点、理科・0点、英語・2点…。
なんと、太田は国語以外からっきしな結果だったのだ。
あははと笑う女子二人の声に、太田はきっと傷ついているんだろう。
必死に勉強して、誉められようと頑張った。でも、こんな結果。
結果は結果だけど、人から笑われるのはムカつく。オトナな太田はけっして波風を立てない。
いくら太田でも、こんな極端な点数を前回の中間考査では取ってはいない。
むしろ、平均的に残念な点数を取っていたのだ。しかし、今回はあまりにも極端すぎる。
もしかして、期末考査は国語しか勉強してこなかったのだろうか。そうしか考えられない。
この子は、わたしが死んでしまったらどうなるんだろう。
- 01-073 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:00:36
ID:i7jolVBn
- この日の放課後、太田に職員室で夏休みのプリントの作成を命じた。
何枚かあわせて、ホチキスでぱちんと止めるだけ。この間やっていたアレと同じ要領だ。
本当は太田一人でやらせたかったのだが、どこで話を聞いたのか委員長と飛鳥が付いてきた。
「わたしたちも手伝いますう!ねっ、飛鳥」
「太田くん、がんばろうね」
ウソだ。ホントは太田をいびりに来たんだろ。ウソツキの行動は分かりやすい。
女子二人が良い子ちゃんを演じれば、演じるほど胡散臭くなる。
これに気付かない太田も太田だ。教師のわたしが教えてあげたい、
『太田くん、言葉ってかわいい女の子なのよ。太田くんはまだわからないと思うけど
かわいく愛敬を振りまくほど、ホントは…なめんなよって思っているの』って。
あーあ、外じゃツバメが低く飛んでいるよ。頑張って飛べ。
黙々と作業をしている三人。その脇でわたしはパソコンで書き物をする。
紙の音と、ホチキスの歯軋りと、キーボードのリズムだけが響く。
「あまり根詰めてると、効率が悪くなるよ」
「うん。より子先生、ありがとう」
「じゃあ、ちょっと飲み物でも買ってこよ。太田くん、行こっ」
三人は職員室から出て、休憩を取りに行った。太田も一緒だ。
一見仲良しこよしの三人だが、そのあどけなさが薄ら怖い。
またあの二人から苛められているんじゃなかろうか。わたしは、太田のおかあさんかよ。
ちょっと心配になったわたしは、様子を見に行こうと立ち上がった瞬間、太田だけが職員室に戻ってきた。
「あっ、太田くん!」
と、わたしが手を振ろうとした瞬間、隣の机の上の花瓶がころりと転んだ。
花瓶は中に湛えた水をぶちまけ、太田たちが作っていたプリントを溺れさせる。
「ご、ごめんなさい!!」
「先生!」
慌てて花瓶を戻し、ハンカチであたりを拭こうとすると、太田がわたしの元にやってきた。
「先生はあっちに行って!」
「え…?」
「早く!!」
このときの太田の目は、いつか見たオオカミの目であった
- 01-074 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:01:03
ID:i7jolVBn
- 訳も分からず、太田の言うとおりに花瓶から離れると同時に、職員室に女子二人が缶コーヒーを持って帰ってきた。
女子二人は、びしょ濡れになったプリントと、その前に立ち尽くす太田を目にする。
「あのさ…コレ、何?」
「……ぼく」
「ぼく?太田がやったの?」
太田はこくりとうなずく。
委員長は口をつぐむ。
飛鳥は腕を組みながら、太田に詰め寄る。
「……ふざけんなよ」
太田の思惑ではわたしは、何も言わない方がいいんだろうか。
「より子先生、太田のバカが…」
「委員長、太田なんかもういいよ。ほっといて早く帰ろうよ。ね、より子先生、約束のクレープ食べに行こっ!」
―――わたしは旅人。何となく、ふらふらと当てもなく道を歩く。
旅人はオオカミが嫌い。若いオオカミは付いてこなくてもいいのに旅人に付きまとい、
わたしの旅を不安な旅にしてしまう。蒼い目が旅人を見つめている。
おまけにその後から二頭の山猫が、にゃあと猫なで声でわたしに付きまとう。
その山猫は、危険だぞ。見た目は愛嬌があるが、けっして仲間でも何でもないぞ。
山猫はわたしの肝を狙っている。血の滴るわたしの大事な肝を食べようとしているぞ。
平穏な旅に邪魔な獣たちは、みんな射ころしてしまえ。
「より子先生がやるわけないじゃん」
「ぼくがやりましたっ!」
―――旅の途中、怪我を負い身動きできなくなった旅人を、小さなオオカミは優しく慰める。
「ぼくが、ぜったい守ってやる」
わたしを狙う残忍な山猫たちに、旅人と孤独なオオカミは囲まれた。
逃げ場をなくしたわたしには、一匹のオオカミ。しかし口を開けると、牙がない。
弱いオオカミはヤツらの牙に斃れる。
ヤツらは、オオカミの血に満足したのか闇に消えた。
「ぼくが悪いんです」
「太田くん…、ほら、ハンカチ…」
「先生…」
―――オオカミの血は暖かかった。お願いだから、もう流さないでおくれ。
わたしは、二頭の山猫をころしたい。冷たい血を流して斃れろ。
- 01-075 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:01:44
ID:i7jolVBn
- …ふっ、わたし何考えてるんだろう。
「女子はもう遅いからお帰りなさい。後はわたしと太田くんで後片付けするから」
「えー。クレープ!」
「もう、時間も遅いよ。女の子たちは、早く帰らないと…」
「はぁーい。わっかりましたあ」
「委員長、帰ろっ。太田のバーカ」
ヤツらには、オオカミの寂しさはけっして分からないんだろうな。逆にバーカと返したい。
今の空は、オオカミに包まれているように鈍い色をしている。
わたしが作業を終えた太田を家に帰した後、鉛色の空からぽつぽつと雨が降り出した。
ツバメのせいだ。ツバメが頑張って高く飛ばないからそうなるのだ。
わたしの文句をツバメが聞いたら『理不尽なこった!』と怒るかな。それはそれで面白い。
駆け足だった雨足は、どんどん速くなりとうとうアスリート並になった。
あーあ、折角帰ろうと思ったのに、これじゃこの間新調した、
今着ているボヘミアンルックのワンピースが台無しだ。
わたしが新しい服を買うと、いつも雨だ。これは、わたしに服を買うなと神様が言っているのか。
そんなバカな。神様のクセに生意気だぞ。
わたしがそんなバカな事を考えていても、一向に雨は止まない。
あんまり降り続けているので、雨雲がランナーズハイになっているのだろう。
小さなビニール傘を差して、こつこつと家路を急ぐ。小さな体でわたしを雨から守るビニール傘は、
まるで太田のようだ。いやっ、太田って…なんでわたし、太田のこと思い出しているんだろう。
あまりにもわたしが太田太田言うので、本物の太田が目の前に現れた。
この子は傘も差さず、新たな主を待つ潰れた店の軒先で体を震わせながら雨宿りをしていた。
「太田くん?濡れてるの?」
少年は何も言わない。兎に角、わたしの傘におはいんなさい。
心配だからじゃないぞ。これは、わたしの点数稼ぎ……だぞ。
太田もいい点取ったんだから、わたしにもいい点くれ。太田よ。
- 01-076 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:02:08
ID:i7jolVBn
- ここから近いので、太田をわたしのアパートに招きいれた。
もしかして、初めてわたしの部屋に男子が入ったのは、太田じゃないのか。
太田よ、胸を張っていいよ。しかし、ずぶ濡れの太田は背をちぢめ込ませるばかり。
シャワーに入れようとするが、太田本人が恥ずかしがっている。そんなに制服を脱ぐのが嫌か。
わたしは見ないから大丈夫。
「着替えは何とかするから。風邪がぶり返すでしょ?」
ひとまず太田を安心させて、風呂場に入れさせた。
でも、太田は運がいいなあ。飛鳥や委員長に見つかってみろ。
さらに水をかけてくるかもな、アイツら。子供じみた水鉄砲で太田を狙い撃ちだ。
そして『太田くん、ごめんね』って平気な顔して言うのだろう。わたしの妄想なのにムカつくのは何故だ。
洗濯機で太田の服を洗う間、代わりの服を探す。女物ばかりのタンスはわたしを悲しくさせる。
「先生、上がります」
小さな脱衣場から太田の声が聞こえる。すりガラス戸越しに太田の華奢な体が見える。
仕方ないので、高校時代の体操服を着せよう。普段はわたしが休みの日に着ている白いシャツと紺のジャージパンツ。
背中には大きく「三川」とゼッケンが。物持ちのいい母に感謝。
必死にすりガラスに隠れながら、太田は顔を覗かせる。
「ねえ、太田くん。コレしかないけど…いい?」
「なんでもいいです」
太田さえよければいいや。あっ…パンツ…。
「濡れてないから、いいです。そのまま同じの履きます」
少しぶかぶかな格好で、ほかほかした湯気と一緒に太田はわたしの体操着を着ている。
わたしと太田は背が違いすぎる。それだけ、太田はちいさい。
男の子にしてはちょっと長い髪を濡らし、小さな肩をさらにちぢ込ませて四畳半の部屋に戻ってきた。
その体操服はいつもわたしが着ているから、わたしの匂いがするのだぞ。
少年よ、お姉さんの匂いだぞ。
わたしは、フェイスタオルを渡しに太田に近づく。
くんくん。
風呂上りの男の子の香り。いつもの牛乳の香りとは違う。
でもどうして、太田なんか家に上げたんだろう。誰か教えて欲しい。
- 01-077 :より子先生と太田くん:2008/06/01(日) 15:03:46
ID:i7jolVBn
- 座って髪の毛を拭いている姿を見ていると、ちょっかいの一つも出したくなってきた。
委員長がやったらただの嫌味だが、お姉さんはちがうんだ。
かわいいかわいい、ってやっているんだぞ。
後ろから見た太田はホントに女の子。飛鳥よりよっぽど色気がある。
こんなところで飛鳥が負けるとはな。うなじが掻き揚げた髪でちらっとわたしの目に焼きつく。
無防備な太田の首筋につんと人差し指で突付く。せっけんの香りを振りまきながら
目を丸くしてわたしの方に振り向く。
「……」
「びっくりした?」
こくりとうなずく太田は、また小さくなる。
思わず舌なめずりをして、つまみ食いの一つでもしたくなるのは当然。
わたしはつばきを飲み込むと、後ろから太田の顔を覗き込んでみよう。
「…どうして、わたしの事…かばってくれるの?」
「先生は、友達じゃないから」
「…うん」
「友達は嫌いだ。友達は、ぼくを裏切るから」
わたしも、友達は嫌い。友達なんか、多いやつの負けだ。
太田くん。きみは、オオカミ。
けっしてヒトに飼いならされる事なく、自由に、そして孤独に生きるオオカミ。
―――旅人とオオカミは、お互いにかばいあう。旅人は智恵を、オオカミは暖かさを。
ケモノとヒトなので友情なんか、育む事なんかできやしない。『友』だの『ダチ』だの、
陳腐な言葉では片付ける事を、わたしたちは否定する。山猫たちは薄っぺらい気持ちで
旅人に擦り寄ってくるが、今度やってきたら思いっきり蹴り飛ばしてやる。
わたしと太田は、友達なんかという言葉じゃ言い表す事はできない。ざまあみろ、委員長、飛鳥。
教室ではうそっぱちに塗り固められたわたし。
だけど、今は太田と二人っきり。ここでは、なにも怖がる事はない。
「太田くん。先生の言う事…よく聞くよね」
「…だって、ぼくの先生だから…」
「うん。いい子」
わたしは太田の頭を髪の毛と一緒に『がおー』と優しく噛む。
「ふふふ。くすぐったい…」
ヒトにはけっして見せない笑みを太田はわたしに見せた。
今までひねくれていた、わたしの薄汚れた鏡を粉々に砕く太田は、すごい。
ぜったい、しあわせにしてやる。
- 01-095 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:26:49
ID:kJKZpVNs
- 外は、雨。すぐに夜がやってくる。
太田が言うには、今日は父親だけが家にいると言う。最近、母親は仕事で戻れない日々。
一度家に連絡をするように太田に言ったが「父さんなんかに言ってもしょうがないよ」
と、つれない返事だけがわたしに返って来る。
詳しく聞くと、父親は太田には関心がないらしい。心配すらしてくれないとのこと。なんという親だ。
家に帰っても、飼い犬だけが友達なんて太田は惨め過ぎる。もっと捻くれていいぞ、太田。
「チコ、ごはん食べてるかな…」
「チコ?」
「うん。うちのイヌ」
少年は優しさをちらとわたしに見せる。
動物の好きな少年は、外の雨を見ていた。ずっと、ずっと…。
わたしだって、少年に優しさを見せてやるから。
「先生の言う事、しっかり聞いてくれる?」
「うん。先生は大好き」
「太田くん。君はもっと悪い子になりなさい」
「わるい…子」
「優しくて、悪い子になりなさい」
「うん」
白く純な生徒を導く教師なのに、どうしてわたしは黒いんだろう。
- 01-096 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:27:15
ID:kJKZpVNs
- 素直にわたしの話を聞き入る太田は、よく言えば素直、悪く言えばバカだ。
しかし、太田のバカはいじらしいとも言える。飛鳥と違って。
そんな真っ白な太田をわたしは、わたしのような真っ黒に染めたい。
わたしは自分の指を咥え、その唾だらけの指で、太田の頬からあごにかけてそっと滑らせる。
けっして太田は嫌がらない。わたしを信頼しているからか。
湯上りのせっけんの香り漂わせる少年に、わたしは唇を近づける。
当たり前だが、恥じらいながら少年は首をすくめさせ、目をつぶっている。君は怖いのか。
少年特有の甘い香りがわたしを包み込み、わたしの大人しかった子宮を狂わせる。
「…悪い子ね」
君はうなずく。そう、本当は悪い子。わたしと君は、悪い子同士。
体の底が熱くなり、くらくらする感じが…。
ぴちゃ…。初めて男の子との…キス。甘い。言葉が思い浮かばない…。
言の葉を扱う生業をしているのに、わたしったら。
ただ、君の唾で光っているわたしの小さな唇は、全てを分かっているはず。
覚えのある肌触りのシャツを着た君のおなかに、わたしは頬擦りをして君のガラスの理性を打ち壊す。
すーはーと深呼吸して、そのままジャージをゆっくりめくってあげようか。
そういえば君は、ウソが下手糞だったね。その証拠に君の若く疑う事を知らないオオカミが、
君の下着から、飛び出そうとしている。わたしの言う事を聞いてくれるように、口で教えよう。
「はぅうっ!!」
君の声は正直。わたしはヒトを愛する経験もなく、初めてヒトを愛することにしたのだから、正直な答えが嬉しい。
そして
白い正直者を玩ぶアイツらが許せない。アイツらが…。
- 01-097 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:27:40
ID:kJKZpVNs
- オトナになりきれていない君のオオカミは、わたしの口で弄られて音を立てて涙を流す。
じゅるうぅ。ちゅっ。
とっくに雨音はわたしの耳に入ってこなくなり、淫らな音だけが届いている。
「せん…せい…。ぼく…ああん…」
黙ってくれないか。君はウソが下手なんだから。
初めて味わう果実。不思議な感覚だ。わたしの頭の動きにあわせて、君は少女のような声を出す。
「あん!ふぁああ!せ、せんせええ!!」
何かに耐える君の顔をわたしは上目遣いで覗き込むと、孤独なオオカミは子犬のような顔をしていた。
「せ、せんせ…い。やめて…」
「………」
あまりにもわたしが弄りすぎたので、わたしの口の中は君の白く粘つく蜜でいっぱい。
唇からぽたりとこぼれる蜜に、手のひらを濡らしているわたしを君は見ているのか。
軽蔑するもよし、ひれ伏すもよし。君の好きな人なんだからどうにでもするもよし。
ジャージをずり下され、乳飲み子のように無防備な姿をさらけだす君。
わたしの名前の入ったシャツだけに包まれた少年が目の前で横たわる。
そうだ。わたしは君に全てを知って欲しい。
「ほら、太田くん。次は君の番」
異国の雰囲気漂うボヘミアンルックのワンピース。ふわふわとわたしを包み込むこの衣をたくし上げ、
純白のわたしのショーツを君のものにしてあげよう。さあ、どうする。
君の知っての通り、わたしは国語の教師。君にいつも教えたはずだ。そして、君はいつも聞きに来てくれたはず。
答えは君次第。数学と違って、幾つもの答えがあってもいいのだよ、国語は。
- 01-098 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:28:04
ID:kJKZpVNs
- 「…どうするの…先生」
「……太田くんの…好きにして」
君はどうしていいのか分からない迷子のオオカミ。
まかりなりにもわたしは教師。生徒の問いに答えるしかない。
白いショーツをゆっくり見せ付けるように指で下ろす。
太田くん、これが君の大好きなより子先生なのだよ。きっと、委員長も飛鳥も知らないぞ。
君は恥ずかしそうに目を逸らせているけど、わたしが人間を好きになることなんぞ
めったにないんだから。この誰も踏み入れた事のない、未知なる草原に来てごらん。
「さわっていいの?」
「さわってくれなきゃ、だめ」
わたしは君の白い手のひらを握り締め、ゆっくりと草原に差し出し人を知らぬ草花を撫でさせる。
「あん…」
君はオオカミだったっけ。そうだ、この誰も狩りをしたことのない、豊かな大地を走るがいい。
オオカミよ、思いっきり走れ。君の大好きなウサギもいるぞ。怖がる事はない、さあ。
「ああん!ぬ、濡れちゃう…」
「こ、こうですか」
「う、うん。太田くん…。舐めて…舐めていい…よ。っひ!」
オオカミよ、今一歩踏み出せないのか。ウサギは穴に逃げ込むぞ。
ウサギの穴から、ケノモの香りがするからね。君の舌で確かめろ。
ぴちゃ。ぴちゃ…。
「お、太田くぅうん!」
「は、はう!」
さあ、君の獲物はもうすぐだ。
- 01-099 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:28:29
ID:kJKZpVNs
- 太田はわたしのいやらしく濡れているウサギ穴の上にまたがっている。
ゆっくりと太田が腰を下ろすと、絡み合う液体のお陰かするりと太田のオオカミが穴に入ろうとしている。
「いたいっ!」
わたしの悲鳴に太田は驚き、泣きそうな顔をするがわたしは大丈夫。
でも、体がずきずきする…。悪い子になるための洗礼なのだろうか…。
「ああん!痛い!ひぃい!!いくっ、いっちゃう…」
言葉なんかもう要らない。太田の方も限界なのか、足が引きつっているようにも見える。
「せ、んせ…いい?」
「……」
「せんせの…中に…でちゃうよお…」
覚悟を決めたオオカミはウサギを追い詰める。さあ、後は一気に攻めるだけ。
「うぅう!」
「太田くぅん!!ああああん!」
ウサギをとらえ、ゆっくりとウサギ穴からオオカミが抜け出すと、
白いウサギの淫靡な羽毛がたらりと糸のように粘つきながら引いていた。ウサギの血も混じっている…。
君はオオカミ、獲物は美味しいか。
「ひっ、ひっ…痛いよお…」
痛さに耐えるわたしの姿は、太田にどう映っているだろう。
こぼれた白い物が、わたしの折角のワンピースを汚す。新しい物を買ったときは、いつもついてない。
太田もわたしも疲れ果て何時しか、雨音が再び耳に入るようになっていた。
- 01-100 :より子先生と太田くん:2008/06/08(日) 00:28:53
ID:kJKZpVNs
- もう、わたしは『みんなのお姉さん先生』なんかじゃない。
証拠はこの太田だ。一匹のオオカミを手懐けた一人の旅人は、心強い相棒を得たのだ。
もう、旅は怖くない。何でも来い、獅子でも虎でも…。
そうだ、山猫だ。調子に乗って旅人の旅路を荒らす、有頂天な山猫の血を見たい。
山猫を深く傷付けるには、オオカミを使うほかはないな。
だが、このオオカミは牙がない。たった2匹の山猫なんかでも、返り討ちにあってしまうほどだ。
だけども、旅人にすっかり懐いた義理深いこのオオカミは、旅人を救うかもしれない。
そうだね、太田。
「ねえ、太田くん」
「…はあ…」
疲れ果てた太田は力なく返事をする。
「飛鳥と委員長…どうよ?」
「…うん…」
沈黙が続いた。太田のことだ、頭の中で言いたいことがまとまらないのだろう。
いや、精一杯の気遣いをしているに違いない。太田くんよ、悪い子になりなさい。
「太田くん…わたしの力になってくれる?」
「…はい、先生…」
「いっしょに、山猫退治…する?」
わたしは、悪い先生。
- 01-113 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:49:24
ID:9wqe23/v
- わたしと太田が結ばれた日から数日後の放課後。
いつものように、委員長と飛鳥がわたしのそばにまとわり付く。
太田と誓ったように、この山猫たちの血を見なければ、わたしは夏を迎えられない。
あっけらかんとしているこの二人を見ていると、ますますわたしの計画が楽しみだ。
「より子先生は、夏はどうするんですか?」
「んー、こう見えても夏休みは忙しいんだよ。先生は」
「きゃはは!やっぱりデートとか?」
太田とデートも悪くない。しかし、夏を迎える前にわたしは忙しくなるのだよ。君たちのために…。
時計の針が夕刻を告げると、委員長は委員会に出席のために居残り、飛鳥は帰宅する。
面倒くさそうな顔をしながら、委員長は委員会のある教室へすたすた歩いていった。
「こんな委員会なんかサボって、美味しいもの食べたいよお」
周りに誰もいなくなったのを確かめると、わたしは自分の席で本を読んでいた太田を呼び出す。
手懐けられたオオカミはちょこちょことわたしの方へ駆けてくる。かわいいもんだ。
尻尾を振っているオオカミはらんらんとした目でわたしを見ていた。
「今日は、一緒にアレやるよ」
太田はこくりとうなずくだけ。だけど、太田にはしっかり伝わっているはず。
「がおー」
軽く太田を抱きしめて、髪の毛もろとも頭を甘噛みすると、少年はくすくす笑っていた。
- 01-114 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:49:52
ID:9wqe23/v
- 程なく委員会はお開きとなった。今日もたいした議論もなく、平和な委員会だったらしい。
だらだらと各クラスの委員が出てくる中、我らが委員長はいちばん遅く教室から出てくる。
偶然を装い、わたしは委員長に接近。
「あっ、より子先生」
「お疲れー。ってホントは疲れてないかあ」
「ひどーい!罰として、わたしへ甘い物を提供することを要求しますよ」
いつもの通り、委員長はただでさえ取りすぎている甘味をわたしにねだってきた。
委員長よ、それが自分の事を苦しめるんだよと言いたいけど、言ってあげない。
「それじゃ…、帰りにクレープでも食べる?」
わたしは他の誰にも聞こえないように、委員長に耳打ちを。
単純な委員長はぱあぁっ!と明るくなり、まわりにカラフルな花が咲き乱れた。
「だって!この間、買い食いはダメってって言ってたじゃないすかあ。
こんな事をいわれたら、わたしはクレープ食べなきゃいけないじゃないですかあ!」
乗ってきた、乗ってきた。『クレープを奢れ』の合図をわたしは見逃すはずがない。
「クッレープ、クッレープおいっしいなあ…」
わたしに腕を絡みつかせる委員長は、まるで子供のよう。君は本当に中学生か。
「これは…飛鳥にはぜったい内緒ね」
「うふふふ。はーい」
「ぜったい内緒よ」
クレープとわたしを独り占めにしている優越感で、委員長の背中に羽根が生えてきた。
その羽根は本物の羽根か、それともイカロスの羽根か。委員長はまだそれを知らない。
- 01-115 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:50:17
ID:9wqe23/v
- 委員長との帰り道、約束どおりクレープ屋に向かう。
店の周りは甘い香りと、子供のような女子高生に囲まれていた。カップルも見受けられるが、それもまた子供のよう。
「どれにしよっかなあ」
目をきらきらとさせている委員長は、メニューを見ながら楽しそうに迷っている。
無防備な委員長をわたしは優しく、そして冷徹に見ている。そんな中…。
「あっ、太田くん!」
わざとらしく、わたしは太田を発見する。同じく学校帰りの途中…という設定。
委員長はすこし不機嫌な顔になる。太田が来るんだもんな、この子にとっては無理がないか。
「太田くんも、クレープ食べる?」
「…う、うん」
「より子先生が少ないお給料で奢ってくれるんだから、もっと喜びなさいよね!太田」
太田を蔑む為に口にした委員長の言葉にわたし自身がイラッとするが、
そんなことはどうでもいい。太田もわたしと委員長の輪に加わった。
そして、みんなで楽しくクレープを食べました。
おしまい。
そんな訳ないだろ。話は明日へと続く。
- 01-116 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:50:37
ID:9wqe23/v
- 翌日の朝早く、一人で職員室に来た委員長は、わたしにこっそり一枚のチラシを見せてくれた。
それは、とある鯛焼き屋の広告であった。
「ここの鯛焼き、すっごく美味しいんですう」
「へえ!いっぺん食べてみたいね」
わたしは新聞を取っていないので、この店のことは知らなかったが、委員長の腹の内は
ただ『鯛焼きが食べたい』というものではなかった。
これからは、あくまでもわたしの憶測なんだが、きっと委員長はわたしに気に入られたいんだろう。
ただ人気者と言うだけでろくにクラスをまとめず、わたしと仲良しごっこをしている委員長。
おそらく、これからの進学の為にわたしに気に入って欲しいと思って、やたら近づいてくるんだな。
そして、わたしをご機嫌にして内申書を少しでもいい点にして欲しいという、
浅はかな考えがメガネの委員長を動かしているのに違いない。うん、間違えない。
思い出してみなさい。太田が花瓶をこぼして資料を台無しにした(実際はわたしなんだが)時の委員長。
ここぞとばかり太田に噛み付く飛鳥に対して、あんまり荒立てようとしなかったじゃないか。
いい子ちゃんをぶって、飛鳥をなだめる所なんぞ偽善の香りが甚だしい。
まるで小さい頃のわたしを見るようで、なんだか腹立たしくもあるのだ。
- 01-117 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:50:59
ID:9wqe23/v
- 「今度、こっそり買って持ってきましょうか?より子先生のためだけに!」
「うん、楽しみにしてるね」
「うわーい、楽しみにしてくださいね!!」
委員長はまるで高校の頃のわたしのようで、見ていてどうも気に食わない。
同族嫌悪って言うやつか。
. ××××××××××××××××××××
わたしが中学3年の頃、友達は本当にいなかった。
いや、バカな話をしたり一緒に帰ったりする友達ぐらいはいたが、
どの子も薄っぺらい友情で繋がっている、知り合いの毛の生えたものであった。
「より子は国語の成績がいいなあ」
「べ、別に国語だけ頑張ったんじゃないから…!」
「より子の顔が赤くなったぁ!!」
自慢ではないが、中学時代の成績は押し並べていい方で、間近に控えた高校受験も全く不安なものではなかった。
教師や親からも期待をされた、まじめのまー子であったのだ。
そんなわたしは、他の友達がこれからいくつかの高校の入試に突入する中、いち早く私立の推薦入試に合格を決めた。
もちろん、教師、担任、友達は喜んだ。わたしも嬉しい。
- 01-118 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:51:22
ID:9wqe23/v
- これからのスクールライフに、美しい花を咲かせようとした時の事の話。
担任から呼び出されたわたしに、その花をむしりとられる様な事を言われる。
「三川さんは、はしゃがない方がいい」
「どうしてですか?折角合格したのに」
「まだ、受験を控えてる子もいっぱいるからね」
わたしの合格はわたしのものだ、他のヤツが気にする事はない。
と、思っていた当時のわたしはバカだった。
お手洗いの扉越しにわたしの噂を耳にする。
「より子は最近、冷たいなあ。アイツ、浮かれてるよね。ぜったい」
「先に合格したから、調子に乗ってウチらを見下してるんだよ」
友達だと思っていた子たちの声だった。どんなに長い呪いの呪文よりも、この言葉はわたしを深く傷つける。
彼女らがお手洗いから出てきて、わたしの姿を見にすると
「より子の行く高校、いいなあ。きれいなバルコニーがあるんだって?」
「わたしも、より子みたいに早く合格決めるんだ!」
と、手のひらをひっくり返すように、乾き切った尊敬の眼差しでわたしを見てくれる。
うそつけ。うそつきは嫌いだ。友達なんか、うそつきのかたまりだ。
この頃から人間がやけに嫌いになり、わざと友達(だったヤツら)から距離を置くようになる。
その結果、ただでさえ友達のいなかったわたしは、全く友達の影が見当たらなくなってしまった。
- 01-119 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:51:47
ID:9wqe23/v
- その反動か、高校に入ってから薄っぺらくてもいいので友達だけは欲しいと、
努めて明るく振舞う『みんなのより子』を演じてきた。
そして、わたしのほうがすっかり『うそつき』になってしまった…。
委員長とわたしの高校時代は、似すぎている…。
. ××××××××××××××××××××
そんな、わたしの話はさておき。
わたしはそのお礼代わりと言っちゃなんだが、委員長にリップを勧めてみた。
買っておいて封を開けないまま持っていた、瑞々しい柔らかなリップスティックを
わたしのカバンの中から取り出し、委員長の小さなくちびるに塗ってあげた。
それほど派手でもなく、むしろむず痒い中学生たちにはお誂えのリップ。
お年頃の委員長には、ぴったりかもしれない。
どちらかと言うと地味なメガネっ娘で、そんなにおしゃれに気を使わない委員長は、
わたしからのプレゼントにまるで子供の様に喜んでいた。実際、子供なんだが。
「うわーい!より子先生、ありがとう!」
「委員長も大分、委員長っぽくなったよ」
「より子先生!ひどーい!それじゃわたしが『委員長』っぽくなかったじゃないですかあ」
「ウソウソ!!でも、随分大人っぽく見えるよ、コレだけで」
わたしがただで何かをしてあげると思ったら大間違い。
山猫は旅人からもらった一枚の肉にぱくつくが、その肉には小さな小さなとげが仕込んであるぞ。
今は気付かないかも知れないが、後になって痛い痛いって泣き叫んでも知ーらないっと。
委員長はカバンを揺らしながら、ぱたぱたと教室に向かった。
- 01-120 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:52:16
ID:9wqe23/v
- その日の午前中のこと。
授業合間にある5分休みの暇を惜しむように、委員長と飛鳥はつるんできゃっきゃ騒いでいた。
クラスに響き渡る騒音の約3分の1はコイツらの声かもしれない。
かといって、だれも気に止めているわけでもない。そんなものか。
「…ねえ、委員長…、水上さん…」
太田がひっそりとその中にやってきた。委員長は軽くあいづちををし、飛鳥は予想通りしかとをしていた。
あのね、太田さあ、そんな仕打ちをされるくらいなら、ヤツらに近寄るな…じゃあ終わらないのがわたしの企み。
女子二人は、いつものように食べ物の話ばかりをしている。
パフェだのケーキだの、よく朝っぱらからそんな話が出来るな。感心するよ、先生は。
聞いているだけでもうおなか一杯。胃がもたれてきた。
無理に二人の間に入ろうとする太田。これもわたしの企み。
「そういえば…委員長、知ってる?」
と、太田が口を挟むが飛鳥は無視をするが、次の言葉で委員長は口を閉ざす。
「この間のクレープ屋に新しいメニューが出来たんだって…」
「太田…!」
委員長は少し顔が曇る
- 01-121 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:52:38
ID:9wqe23/v
- 「何?何よ、『この間の』クレープって?」
「うん。先生とね…」
「より子先生?より子先生となの??」
飛鳥が釣り針に引っかかる。
友達である委員長から仲間はずれにされて、大好きなわたしからハブられ
そしておまけにクレープを食べに行ったことが飛鳥には重要な問題だった。
飛鳥の粘着的な性格なんぞ、わたしゃお見通しだよ。ふっ。
しかも、太田までもがその恩恵に与っているのを知ったとなりゃ、腹をすかせた山猫の目の前に、
手のひらに野ねずみを乗せてちらつかせるくらい、この発言が危険な事は誰にだって分かる事。
太田は左手に野ねずみと、右手にキャットフード大盛りの皿を持って、山猫にちらつかせていた。
もっとも、太田に野ねずみとキャットフードを持たせたのは……このわたし。
「『この間』は、美味しかったよね…、委員長…」
「う、うん!ほら、太田もさあ…もうすぐ授業が始まるから、急いで…」
「ふーん、委員長も太田もさぞかし美味しいクレープ食べたんでしょうね」
思った通り飛鳥は少し不機嫌な顔をしていた。
昼休み、何事もなかったように委員長と飛鳥は二人で話していた。
しかし、内心飛鳥は悔しい思いをしているんだろうな。表面上ではにこやかな飛鳥だが
委員長に悟られまいといつもの様に笑っている。笑っているのも今のうち。
- 01-122 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:53:11
ID:9wqe23/v
- 放課後、女子二人と太田はわたしの元に集まってきた。
飛鳥はわたしの前で喋り、委員長は横で相槌をし、太田は脇で黙って見ていた。
わたしは愛想を振りながら、この子たちの話を聞いてあげる。この時は『みんなのお姉さん先生』なんだから、
優しく話を聞くのもお仕事のうち、と割り切っているのだ。しかしまあ、飛鳥は良く喋る。
あまりも喋りすぎて、自分の薄黒い物をさらけ出してしまわないか、こっちは聞いててヒヤヒヤだ。
まあ、そうでもなりゃこちとら万々歳なんだけどね。
「そういえば、委員長さ。リップつけた?」
「う、うん。さすが飛鳥は気が利くねえ」
「太田もこのくらい気付いてやりなさいよね」
油断していた太田は思わぬキラーパスに動揺している。大丈夫、わたしがついているから
太田は何も心配しなくていい。オオカミさんよ、君の出番を待っていてくれ。
「このリップ、どこで買ったの?」
「え、えっとお……お店」
「あたりまえじゃん!あはははは」
「あたりまえだよ、委員長!」
「あたりまえじゃん…」
「太田、うるさいっ」
飛鳥の突っ込みは無慈悲だ。
ところが、わたしにこっそり鯛焼きの事を教えてくれたお礼なので、飛鳥の前では
大っぴらに『より子先生から塗ってもらった』と言えないのだ。
この場でこんな事を言ったら、勘繰り深い飛鳥の餌食になってしまう。
しかも、クレープの一件がある為に、もう飛鳥を仲間はずれにするわけにいかない委員長。
いつもと違う潤んだくちびるをつぐみ、もじもじと俯いている委員長に飛鳥は少し嫉妬していた。
きっと『わたしの方が似合うんだから!』とでも思っているんだろう。バーカ。
- 01-123 :より子先生と太田くん:2008/06/14(土) 21:53:36
ID:9wqe23/v
- どうでもいいくだらない話がひと段落すると、わたしは太田に目で合図を送る。
女子二人に割り込むように、太田がぼそぼそ何か言い出す。
「ねえ…委員長って、彼氏ができたんだって?」
「太田、何言ってるの?委員長はフリーなんです!」
「だって…どう見ても…」
「太田ってバカ?どうしてそうやって決め付けるの?」
この間の仲間はずれの件で、飛鳥は太田のどんなに小さな言葉でも過敏になっていた。
いつもだったら聞き流すくせに、こういうときは山猫の耳の様な聴覚を発揮する。
「ウソを言うのはやめてよ…。わたしは…彼氏なんかいません!」
「だって…だって…見たんだ」
「あれれ、恥ずかしい事じゃないよ。いいなあ、委員長もモテモテさんだね。
この間一緒に彼とソフトクリーム食べてる所、わたし見ちゃったよ」
「うん。先生も見たんだって言ってるじゃん…」
わたしはさりげなくフォローを入れた(つもり)。もちろん、太田の発言はうそっぱちだ。
ラブラブソフトクリームを食べている委員長を見たというのももちろんうそっぱち。
委員長には彼氏なんぞいない。そのくらいは、これだけなあなあの関係をしていれば、
この子たちのプライベートも把握は出来るもの。当の委員長の顔が紅くなってゆく。
飛鳥も太田ならともかく、わたしが言うならきっと本当だろうと信じきっているに違いない。
そっちが信頼していても気に食わない相手には、こちらは叛旗を降ることもあるんですう。
「さあさあ!みんな帰った帰った!宿題はちゃんとするのよお」
これにてお開き。わたしはこっそり委員長と飛鳥の後をつけて、会話を盗み聞き。
太田、きょうも良く働いた。君の働きを誇りに思う。
- 01-132 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:02:49
ID:QWPaNDE4
- 廊下を歩きながら、女子二人は静かにお喋りをしていた。
さっきのような華々しさはこれっぽっちもない、お年頃の子としては地味なものだ。
地味と言うより、飛鳥の薄暗い何かが委員長にまとわり付いている感じ。
わたしは職員室に向かうために、ここでさよなら。
後の会話は、こっそり付いて行った太田の話によるもの。じっくり聞いて欲しい。
「飛鳥、太田の言う事なんか気にしないでね」
「気にしてないよ!」
「うん…だって、わたしたちは友達だもんね」
「友達が友達を置いてクレープ食べに行っちゃうんだあ」
「…ごめん」
飛鳥の追撃が委員長に襲い掛かる。委員長は友達の不信感に耐えられるだろうか。
女子二人が、下駄箱から各々靴を取り出そうとふたを開けたとき、委員長の靴箱から
一通の封書が落っこちた。水色でいかにも清純そうな一通のふみ。遠くかえら見ても分かる。
ご丁寧にハートのシールで封をしており、十中八九恋文だと分かる物だった。
「これって、ラブレターじゃん。委員長」
「………」
「ふーん。お勉強も出来て、ちょっと美人で彼氏もいる女の子はモテモテなんですぅ、ってね」
「知らないよ…こんな子」
「『この子の為に背伸びして、わたしリップを付けてみましたぁ』って感じ?」
後ろ向きで委員長に話しかける飛鳥の表情は、想像が容易に出来る。
- 01-133 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:03:14
ID:QWPaNDE4
- この恋文は、もちろんわたしが捏造した物。
読み人知らずとなっているこの恋文は、飛鳥に視覚的衝撃を与える為だけに意味を成す。
恥ずかしそうに委員長は封筒をカバンに隠し、自分の靴を取り出した。
「あーあ。わたしもラブレター欲しいなあ」
飛鳥の氷よりも冷たい一言が、委員長の胸に突き刺さる。委員長から見えない血がにじみ出る。
スタスタと二人は学校を後にしたが、飛鳥はその後何も委員長に話しかけない。
太田から聞いた話は、これで以上。
わたしは職員室でお茶を飲みながら、太田からその話を聞いていた。
ごめんね、委員長。でも、わたしはわたしを本気に好いてくれた太田を悲しませる子が、だいっキライなんだ。
そんな簡単な事は、いずれあなたたちにも分かる事だろうね。おこちゃまは分からないか。
だから、わたしは満面の笑みを浮かべながら、山猫を追い詰める弓矢をぶっ放しているんだね。
でも、直接心臓は狙わないよ。だって、だって……かわいそうだからね…。
わたしだって、無慈悲なケモノなんかじゃないよ。きっと心臓に弓矢が突き刺さったら痛いんだろうなと思って、
山猫の尖がった耳たぶ狙い、ひょいと弓矢を放ち込んだんだ。やさしいね、わたし。
そして山猫に復讐の剣でとどめの一撃を斬り付けるべく、わたしと太田は朝早く学校にやってきた。
- 01-134 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:03:37
ID:QWPaNDE4
- 「…わたしの上靴がないんだけど…」
「また、ベタな方法だねえ。委員長のマニアでもいるんでしょ『委員長の匂い、萌えー』って」
「飛鳥!ひどい!」
お察しの通り、委員長の上靴を隠したのはわたしと太田だ。
この為だけに早起きしてきた、体の弱い太田は賞賛に値する。
犯人はわたしたちなので、当然隠し場所も知っている。もちろん教えるもんか。
その日の朝は、珍しく委員長がチャイムと同時に教室に飛び込んできた。
朝のホームルームの時間ぎりぎりまで、委員長は自分の上靴を探していたんだろう。きっと。
紺の靴下のまま、ぺたぺたと歩く少女が一人。足を汚さぬ様に踵を上げて歩く姿は、なんとも痛々しい。
クラス中の前でこんな姿を見せているので、この事件はすぐにクラス中の話題独占となるのは当然だった。
お祭り大好きな飛鳥は、意外にもこの事を冷静に流していた。
わたしは来客用のスリッパを委員長に渡し、わたしも探すからと安心させる。
昼休み、いつもの様にわたしに群れている女子二人。
地味でぶかぶかのスリッパで歩きにくそうにしている委員長と、
それを平然と見ている飛鳥のそばに、太田が委員長の上靴を持ってやってきた。
さあ。太田くんよ、君の出番がやってきた。
- 01-135 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:04:01
ID:QWPaNDE4
- 「…みつけた。委員長…」
「わたしの!!」
「植え込みの中…だったよ」
この事件の結末は、太田が昼休み中、委員長の上靴を探し回っていた…と言う、
企画・脚本・演出・プロデュース…わたし、の茶番。観客は委員長と飛鳥。
主演の太田は頭に葉っぱを付けて、恥ずかしそうにしている。小道具は劇の演出効果を高める。
委員長は自分の上靴を履きながら、照れくさそうに呟く。
「太田…あんたさ。けっこう、いいやつじゃん」
「………」
「ありがと」
さあさあ、お客さん。いい感じの展開になってまいり……、なってたまるか。
かわいいわたしの太田を散々コケにしておいて、自分の為に身を削ってくれたら英雄扱いってさ。
思ったとおり飛鳥が、がおーっと牙を剥く。非常に分かりやすい子だ。いい子いい子。
「ねえ、これ…太田がかくしたんじゃね?」
「せっかく見つけてくれて、その言葉はないでしょ。飛鳥」
「だって、あやしいもん!」
「太田、気にしないでね。この子、ちょっとおかしいから」
さあ、委員長と飛鳥の間になにかギクシャクと音がしてきたぞ。
あんまりわたしが口を挟むと、悪いなあって言うオトナの事情でわざと黙っていると、
さっきまでうるさかった飛鳥は黙り込んでしまった。
太田くん。見たかい、二人の友情ってもんを。
「わたし…おかしいんだ…。委員長はそうやって、わたしをずっと見てたんだ」
「……ごめん、飛鳥…」
委員長よ、いい子ちゃんを演じるのは苦しいかい。
- 01-136 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:04:23
ID:QWPaNDE4
- 委員長の事件から数日後の朝、職員室で書き物をしていると委員長が一人でやってきた。
この間言っていた鯛焼きをもっているもの、顔は浮かない顔をしている。
雨降り前のぐずりそうな顔の委員長は、太田にそっくりだった。
「より子先生…わたし、飛鳥と…ケンカしちゃった…」
「あらあら。ケンカなんか、みんなするよ」
「いや!もうダメかもしれないの!!せっかくの友達だったのに…!!」
そりゃ、ケンカするだろうな。
大切な友達だと思っていたのに、(くだらない意地悪な)仲間だと思ってたのに寝返られ、
(わたしが作ったウソだけど)恋人が出来たのを隠していたりしていると思われちゃあ、
さすがの飛鳥も一人ぼっちにされた!と思うだろう。
でも、その位でケンカして泣くような二人なんだろうか?
「飛鳥にちょっと意地悪しようと思って、インチキのラブレターを作って飛鳥の下駄箱に
入れようとしたんです。あまりにも、飛鳥の言葉にムカついたから…。で、朝早く学校に
来て飛鳥の下駄箱を開けて、インチキなラブレターを入れようとしてたら…」
「したたら?」
「…来ちゃったんです、飛鳥が。そしたら、飛鳥『ふーん、この間さ。自分の下駄箱に
ラブレターがあって有頂天だったじゃん』って言うの…」
その事は、わたしは知らない(事になっている)。しかし、つるっと喋ってしまう委員長は、
きっとかなり動揺しているに違いない。彼女の性格からして、ぜったいそうだ。
- 01-137 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:04:58
ID:QWPaNDE4
- 委員長は続ける。
「でね…、飛鳥が言うの。『自分の下駄箱に自分で書いたラブレター入れて、わたしに
自慢しようと思ってたんじゃないの?わたし、もて子でーすってね。い・い・ん・ちょう・さん?』って」
「………」
「『なんでそんなこと言うの?』って反論したら、
『じゃあさ、わたしの困る顔が見たいから、そんな事してるんでしょ?』
って…。ホントの事突かれちゃって…。ほんっとにムカついたから、怒鳴ったら…」
もういいよ、これ以上言わなくて…。頂いた鯛焼きをひとつ委員長に勧めて慰める。
いつもより大人しい委員長と一緒に教室に向かうと、廊下で一人ぼっちの飛鳥に出会う。
勇気を絞って委員長は飛鳥に再び放しかけようとするが…。
「ねえ!飛鳥!!」
「………」
「飛鳥ってば!!」
「……わたしの事、これから『水上さん』って呼んでくれませんか?委員長さん」
飛鳥は一人で教室に入っていった。
―――旅人の剣で一匹の山猫は血溜まりの中で斃れた。
もっとも、怪我を負っていたのにも関わらず激しく動こうとした為、かえって
己の傷を深くしたように見える。仲間だったもう一匹は、森の中に逃げていく。
その後姿を君は見たのか。その後姿は寂しかったか。斃れた山猫は答えない。
もういいや。旅人は余命幾ばくも無い山猫を静かに見守ろうとすると、一匹のオオカミが
ひょいとやってくる。その瞳は蒼いが、鋭さは微塵も無い。むしろ、優しい人間の目。
「太田くん、おはよう」
「おはようございます、先生。委員長」
委員長の瞳から、かすかにこぼれ光るものを見た太田は、そっと自分のポケットから
ティッシュを取り出し、彼女に手渡す…。何も言わずに太田は通り過ぎる。
君は、女の子に一生騙される子なんだろうな。太田くん。
- 01-138 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:05:18
ID:QWPaNDE4
- ―――夏休みに入った青空の眩しいある日。わたしは心弾むデートに出かける。
お相手はもちろん…太田くん。かわいいやつだ。待ち合わせの時間の1時間前から待っていたらしい。
教室以外で太田とこの様に一緒になると、わたしを無垢だった小さい頃に帰らせてくれるし、
一生懸命な太田を見ていると『わたし、いつからヘンな子になったんだろう』と反省させられるのだ。
「より姉は、より姉でいいと思うよ」
太田がわたしを見て『より姉』と呼ぶ。そう、『より子先生』は今日はお休み。
世間様の目もあることなので、休日に太田と街を歩く時はわたしの事を『より姉』と
呼ばせるようにしている。
きっと名も無き市井の人々からは、わたしたちの事は姉弟にしか見えないんだろうな。
世間の目と夏の日差しが重なって見える。しかし、太田はわたしの腕にきゅっと捕まり、
どうでもいい事を忘れさせてくれるのだ。
夏休みでわたしに会えない太田は、この日はきゃんきゃんと跳ねまくる。もー、かわいい。
- 01-139 :より子先生と太田くん:2008/06/21(土) 19:05:42
ID:QWPaNDE4
- 二人して歩いていると、新しく出来ている店を太田が発見する。
そこには委員長が一人で列に並んでいるのが見える。一人っきりの委員長は静かであった。
「あ!より姉、新しいクレープ屋みたいだよ!」
「へへへ、太田くんは甘いもの大好きなんだね。まだまだお子ちゃま舌だからねえ」
「ひどい!罰として、ぼくへ甘い物を提供することを要求しますよ」
どこかで聞いたフレーズを太田が叫ぶ。
「学校が始まったら、寄り道のレパートリーにするんでしょ?太るぞお」
「この間、買い食いはダメってって言ってたじゃないですか!
そんな事をいわれたら、ぼくはここでクレープ食べなきゃいけないじゃないですか!」
太田は、まるっきり委員長の考え方がコピーされてしまった。
ホント、飛鳥といい委員長といい、そして太田といい…わたしの教え子たちってば。
太田がこっそり委員長の背後に近づき、ひょいと委員長のメガネをひったくる。
驚いた委員長は、わたしたちに気付いた。怒った委員長は太田からメガネを奪い返す。
しかし、夏がやって来るまであった元気さは委員長には無い。そっとわたしは二人に近づく。
「やれやれ、ホントに君たちは。わたしがあなたたちに奢ってあげようではないか。心して頂きなさい」
「…ありがとうございます…」
「より子先生が少ないお給料で奢ってくれるんだから、もっと喜びなさい!委員長」
わたしのオオカミは一人で歩き始めた山猫にかぷっと噛み付いた。
生意気な太田をきゃんと言わせようと、わたしは委員長の目の前で
「がおー」
と、太田の頭を甘噛みするのであった。
おしまい。
最終更新:2010年07月07日 10:55